パブリック・ディプロマシー日本外交に望むこと

34年間の外交官生活を振り返って

日揮アルジェリア人質事件(2013.01.25作成)

アルジェリアの隣国チュニジアで勤務していた2010年、日経新聞日揮アルジェリアで大型プラント建設案件を落札したとの報を目にした。遠いアフリカの砂漠地帯に進出する日本企業の快挙に心底「良かったなあ、偉いなあ」と思った。

 

亡くなられた日揮社員の方々、関連企業の方々、現地の方々、他国の犠牲者の方々のご冥福を心からお祈り申し上げる。

 

危険な国に進出される企業の方には頭が下がる思いだ。アルジェリアチュニジアをはじめ日本との間で投資保護協定が締結されていない国も多い。進出先政府との協定なんてテロリスト相手に何の意味もないと言われればそうだが、最低限相手国政府との間で日本からの投資案件保護に一定の約束を記した文書すらなく、企業はいわば丸腰で進出しているわけだ。軍からの食糧も矢弾の補給もないまま戦線を拡大していった、かつてのこの国のありかたを想起してしまう。平時の今日における食糧、矢弾は、政府による投資保護協定であり、ことが起きた時、相手国に対する日本政府の日本企業を支援する意思と能力である。

 

痛ましい事件を前に、さまざまな専門家のコメントが寄せられているが、いくつか的外れな点もあるので記しておく

 

大使館職員を増やしたところで、海外勤務にふさわしい人材はすぐには手当できない。

アフリカ各地にある大使館には、英語すらおぼつかない方が派遣されてくることもある。一生国内勤務だと思っていたのに、急に省庁間の人事交流で大使館勤務を命じられる外務省以外の省庁の方が多い。ましてやアルジェリアチュニジアで通じるのはアラビア語とせいぜいフランス語。大使館員(たいていは男性)の現地とのコミュニケーション、情報収集もままならないのに、その家族の中には、本当に外国語が苦手という方もいる。外務省出身の総務担当職員(次席公使や参事官)は、日本語だけの世界ではそれなりに優秀な方たちが、語学という塀に阻まれ能力を発揮できない現実と、家族のメンタル面に配慮せざるを得ない。一定の情報収集ができるようになるのは、職務熱心な方で任期三年目の最後の方。ほどなく交代の時期を迎え、またゼロ(あるいはマイナス)からの出発となる。残念ながら「私は語学ができません」と逃げまくって3年の任期を終える方もいるそうだ。おまけに、10人程度の大使館で、情報収集などそっちのけで館員同志の人間関係の混乱を最大の娯楽と考えている館員がいたりすると、益々本来業務がおろそかになる。

 

日本におられる方は、大使館経済班に英語もおぼつかない館員が外交官として配属されているとは想像もつかないと思う。悲しいが、いくつかの国ではそれが現実である

 

防衛駐在官駐在武官)を増やせという声もあるが、テロ情報の収集は警察・治安当局出身者でも可能である。

防衛駐在官は戦前の軍部の暴走を許した二元外交をほうふつさせ、不安に思う方もいるかもしれない。軍に限らず警察・治安当局出身者には任国政府も同業のよしみで情報を提供する慣行があるようだ。実際、スイスで治安当局者から「今回外交官である貴女にこのお話をするのは、異例のことと考えてください。」と念をおされたことがある。勿体をつけているのかもしれないが、本国から治安当局者(警察、防衛省、それからテロやマネーロンダリング対策ということでは法務省出身者)がスイスまで足を運べば、もっと情報を教えてやると言わんばかりに、小国ながら厳格な警察国家スイスは私に恩を売っていたのだろう。これらの方々は相手国政府から同業者ということで、情報収集では優遇されるかもしれないが、それも一定の語学力があってのことである。相手が日本語を話す可能性は極めて低いし、日本語ができる情報源にばかり頼るのも情報が偏り、また相手に情報操作されるリスクもある。自らが意識的に情報収集という目的のために、語学、人脈開拓に努力する人材でないといくら人員を増やしても意味がない。

 

それでは解決策は?専業主婦になるのだと誓っている女子も含め、最低限中学、高校で英語の日常会話はこなせるようになること。突如自身あるいは配偶者の海外勤務の辞令が出ても、基礎があれば必要に駆られ上達するはず。語学が必要なのは楽天ユニクロだけではない。「外交パスポート」を持って、特権を享受して赴任する大使館員とその配偶者が英語すらできなくてどうするのか。語学ができれば人脈も広がり、雑多な情報が入る。ゴシップもあるが在留邦人の身を守ることにつながる情報もひょんなことから入ってくる可能性もある。語学は情報収集、人脈形成のイロハである。

 

一方、語学ができれば良いというものではない。日本人の生命・財産を守るという意思と能力が政府にあるのかが最も重要だ。邦人保護のための自衛隊の派遣という話が浮上している。今回はテロでは尊い人命が奪われたが、昨年秋には中国の反日暴動で多くの日系企業が多額の経済的損害を被った。ぐっちーさんの「なぜ日本経済は世界最強と言われるのか」には次のようなくだりがある。(太字筆者)

 

「(略)中国政府がJ&Jのような会社になにかをやったときにアメリカ政府が黙っているでしょうか。あれだけの歴史のある会社ですからありとあらゆるロビイングを駆使してアメリカ政府を動かし、自分たちのお金を取り戻すでしょう。

 しかし、中国にこれまで進出した日本企業がすべてその権利を反故にされても(実際に商社やゼネコンはその憂き目にあったのです・・・)、日本政府は抗議すらしませんでした。それは民間の話だと言って見捨てるのです。中国政府のいわれるがままにしか動きません。日本という国は国民を犠牲にはしますが守らないという伝統があるのです。

 

J&Jはジョンソン・アンド・ジョンソンという会社のこと。思わずため息が出そうな記述だが、私は政府で働いていたからぐっちーさんの見方は正しいと思っている。「それは民間の話だ。」というのは公務員にとり実に都合の良い口実だ。

 

「外務省設置法」には次の規定がある。

第四条 外務省は、前条の任務を達成するため、次に掲げる事務をつかさどる。

八  日本国民の海外における法律上又は経済上の利益その他の利益の保護及び増進に関すること。

九  海外における邦人の生命及び身体の保護その他の安全に関すること。

 

この規定に照らせば、「民間の話」と切り捨てることは、外務省、その出先である大使館を設置する必要がないということにつながる。あるいは職務を全うしていないということだ。外務省だけではない、財務省の人も、経済産業省の人も、法務省の人もみな「それは民間の話」で逃げることをこの目で何度も見てきた。スイスでの闇金融被害者の財産返還交渉についても、大使館にいてこの問題の解決に取り組もうとしたとき、外務省も法務省も「年率1000%でお金を借りる人たちですよ」「闇金でお金を借りて、すぐパチンコでスるような人たちですよ」と山口組暴力団闇金融の帝王やクレディ・スイスから闇金被害者の財産を没収して自分たちの財源にしようとしているチューリッヒ州政府から、被害者の財産を守る必要はないと言わんばかりであった。

 

本省と法務省を動かすために書いた意見具申には上記の外務省設置法の規定を引用した。法律の規定を持ち出し正面から議論すれば、闇金被害者の属性を理由に、政府が職務を放棄できないからだ。次の任地のチュニジアでの日本企業の損失問題に遭遇した時も、邦人の利益を守るより、任国政府と波風を立てない方を好む大使がいることがよくわかった。

 

アルジェリアの人質事件は、英国やフランスも巻き込んだ大事件で内外のメディアで大きく取り上げられ、多くの人命にかかわる案件であった。首相をはじめとする政治家が乗り出すのは当然の案件であるが、中国における反日暴動による日本企業の経済的損失は保険でカバーするだけだ。安くもない法人税を払っている日本企業は、本当にあきらめが早いというか、そもそも日本政府に期待していないのだろう

 

以下は外務省ホームページの採用情報からの引用である。

 

”その情熱と向上心が,日本と世界をつなぐ。

みなさんは外務省の仕事と聞いて,どんな内容を想像しますか?
「外交」の目的は,何よりもまず,国際社会の中で日本の安全と繁栄を確保し,国民の生命と財産を守ること。
それは,「国家」の存在意義そのものと言っても過言ではありません。

求められるのは,国のために尽くす情熱と使命感。それを支える知性。人間としてのタフさと誠実さ。更には,あくなき向上心。
外務省には,みなさんの力を必要とする様々なフィールドがあります。
日本と世界の平和と繁栄のために,このスケールの大きな職場でともに働いてみませんか。””

 

「国民の生命と財産を守る」ことが職務だと明言するからには、おこがましくとも在外公館にあっては、大使がそのことを折に触れ口にし、なでしこジャパンの澤選手のように「私の背中を見て」と胸を張れる仕事をしなければならない。

 

資源のないこの国の繁栄のため、砂漠の過酷な環境で志半ばにして命を落とされた方々のためにも、政府の人事当局には、大使館員(構成は外務省出身者だけではない)にふさわしい人材育成、配置に意を用いてほしい。日本人の多くが最低限英語でコミュニケーションができるようになることは、アングロサクソンの情報網の一端にもふれる第一歩である。英語能力は海外では安全保障の一部でもあるのだ。     (了)