パブリック・ディプロマシー日本外交に望むこと

34年間の外交官生活を振り返って

ジャニー喜多川の犯罪と大手メディア---日本のパブリックディプロマシーの観点から

以前のブログからこのブログに移行する際、テーマを3つに分けた。

  • ひとつは衣食住に関すること、
  • ふたつ目は不動産、
  • そしてパブリックディプロマシー

 

パブリックディプロマシーとは?
国の外交=ディプロマシーに関係する人は、皇室、首脳、閣僚、高官、外交官等の政府関係者に限らない。一般の人、パブリックが担うディプロマシー=外交をパブリックディプロマシー(以下PD)と呼ぶ。メディアもPBの担い手のひとつである。忘れてもらっては困る。

 

福島原発事故の処理水放出で、中国人がSNSで日本を批判したり、日本の官公庁に嫌がらせ電話をかけてきたりしているが、これはPDではない。中国共産党政権が日本けしからん、と公式外交レベルで非難し、日本産の水産物の全面禁輸をしているので、この事態を忖度して日本を叩けばいいんだな、と感じた中国人民=パブリックと称する人々による官製PBだ。中国政府、共産党の鶴の一声で収まるものは真のPDではない。

 

人々、パブリックには企業も含まれる。その観点からは、個人としてのジャニー喜多川、会社組織としてのジャニーズ事務所、そして沈黙、隠ぺいしてきた日本のマスメディアの犯した罪は、日本のPBにとり致命的だ。

当局が行う「外交」について、メディアや世論=パブリックは失敗したとか、成果を上げたとか評価する。例えば、中国の日本の水産物全面禁輸を想定できず、「処理水」を「汚染水」と口を滑らせた農林水産大臣による「外交大失態」のように。

 

ジャニー喜多川と大手メディアは、日本のパブリックディプロマシーをずたずたにした

大手メディアはその隠ぺいに加担してきたが、仮にハーヴェイ・ワインスタインによる性加害を報道したニューヨーク・タイムズのようなメディアがひとつでもあれば、ジャニーが日本に与えた打撃をある程度和らげることができたはずだ。ジャニーが亡くなる前に、そんなメディアがひとつでも登場すれば、被害者の数も減っていたことだろう。

 

ジャニー喜多川の性加害事件では、ジャニーとジャニーズ事務所とその共犯者マスメディアは、PBにおいて大失態を演じた。上沼恵美子がいみじくも言っている。

 

「恥さらしやねん。日本の芸能界の恥さらしになったと思いますねん。下の下の下のオッサンやねん。」「死んでる場合ちゃうねん。生き返って謝れ!」

 

日本のマスメディアも世界に恥をさらした。反省ポーズだけとったフリしたら済むと思うな!

 

週刊文春」では、世論の大きなうねりにつながらなかったわけとは

週刊文春は、ジャニーの性加害等ジャニーズ事務所の問題を報じて、事務所から名誉棄損で訴えられたが、東京高裁は文春の記事を真実だと判断できるとした。最高裁は事務所の上告を棄却して、文春側の勝訴が確定した。が、ニューヨーク・タイムズとは異なり、#MeToo運動にはつながらなかった。なぜか?

大手マスコミが立派だとは言わないが、週刊文春も普段からずいぶんいい加減な記事を書いている。得意分野は「文春砲」と言われる有名人の不倫暴露。それから嫉妬にかられた人物が相手を引きずり降ろそうとするタレコミネタ。こんな記事ばかりを売りにしてきたから、ジャニー喜多川の性加害のような由々しき犯罪も同列に扱われたのではないか?所詮は芸能人の下ネタ、嫉み、妬み、恨みに狂ったヤツのタレこみ…

 

事実に反することを書いて訴えられても逃げられるようにスレスレの記事を掲載し、抗議して自殺した人もいるという。ジャニーズ事務所のようなお金も力もあり、有能な弁護士を雇える相手を記事にする場合は、相当気を付けるのだろうが、そんな力のない一般人相手なら意図的に虚実相半ば(いや、9対1くらいか)する内容にし、虚の方を印象付ける見出しや記事にするのは常套手段。私は文芸春秋社の出版物は絶対に買わない。

 

週刊文春は、被害少年の「人権」を正面に押し出していたのか?被害少年の人権侵害を救済すべきだという思いからキャンペーン記事を連載したのか?ジャニーの変態ぶりを世間に晒すことに主眼があったのではないのか? 大体、文春に当時も今も「人権意識」などあるのか?

 

K- POPもJ-POPもPBの担い手

ジャニーズのタレントは、アジア地域でも人気があるという。韓国のK-POPのようにアジアだけでなくよりグローバルに活躍しているグループはいないようだが、彼らはエンターテイナーとして日本のPBにおおいに貢献してきたことは間違いない。が、その積み上げられた日本への好感度につながる財産は、創業者である元社長の犯罪により壊滅的打撃を受け、帳消しどころか、マイナスになった。負の遺産をゼロのレベルにするだけでも長い年月を要する。

 

TBSを始めとするテレビ局は、タレントに罪はない、と言ってこれまで通りジャニタレを使い続ける、と早々と表明している。他方で、東京海上日動火災JALはジャニタレをCMに使うことは控えるとか、契約は更新しない方針とか伝えられている。グローバルにビジネスを展開する企業であればあるほど、自社のみならず、取引相手企業の人権状況にも配慮せざるを得ない。そういう意味でK-POPのスターを育てた韓国の事務所の方が、「ビジネスと人権」に敏感なのかもしれない。

 

NHKを含めた日本国内のテレビ局は、国内の1億2千万人の結構大きなマーケットだけを相手にしているから、日本語で身内の論理だけで動いてしまう。人口が日本の半分以下の韓国の国内市場は同様に半分の規模だから、世界の視聴者を相手にするのだろう。もっとも、韓国ではタレントの自殺が相次いで報道されたこともあり、彼の地のエンタメ業界も高い倫理感に立っていると単純に信じることはできない。

 

企業もその広告塔もPBの担い手

CMにジャニタレを起用することを見合わせる、としている企業にとっても、「ビジネスと人権」を監視する「外の目」の方が怖い。中国の官製不買運動は科学的根拠がないと反論できる。が、子ども相手に男色欲を抑えられなかった「変態じいさん」が作った会社と取引しているビール会社、航空会社、損保会社というレッテルを貼られれば、企業イメージに対する損失は大きい。

 

多数の少年に対し性加害を繰り返した、多数のカトリック聖職者はカトリックに対するイメージをぶっ壊した。が、加害行為が報じられた欧米諸国のカトリック教会は、マスメディアと取引関係にあったわけではない。「ビジネスと人権」という概念が確立する前の犯罪であるが、被害少年たちはスターになるために教会に通ったわけではなく(懺悔に行ったら、神父にわいせつ行為をされた、というのもおぞましい話だが)、あちこちに散らばる教会がひとつの組織として少年を集め、これら諸国のテレビ局と取引関係にあったわけではない。

 

日本のマスメディア(テレビ局、新聞社、雑誌社等)は、被害少年たちが所属し、未来のタレントとして育成されることになっていたひとつの事務所と取引関係にあったのである。

 

低いランキングの日本の報道の自由度もPBにとってマイナス

また、2023年の日本の報道の自由度ランキングは世界68位。世界各国の報道機関の独立性や透明性についてスコア化し、順位をつけたものである。いわゆる先進国と言われるOECD加盟国は38か国なので、このランキングによれば、先進国でなくとも、日本より報道の自由度の高い国が多数ある、ということになる。報道の独立性は、主に政府との関係において論じられるものだが、ひとつの芸能事務所との関係において、「忖度」「触れてはいけない問題」「噂には聞いていたけど、追求しなかった」という「独立性」とは程遠い情けない状態にあったのである。

 

この報道の自由度も、PBの構成要素である。日本のPBに与えたダメージに加担したマスメディアの罪は非常に重い。

(2023年9月13日記)