パブリック・ディプロマシー日本外交に望むこと

34年間の外交官生活を振り返って

人はそれぞれ、違いがある。「足の速さ」のみが能力判定基準だとしたら、私は判定基準が自分に不利であることをおおいに恨んだと思う。 幸い勉強は得意、特に試験には強かった。大学生までは、世間の能力判定基準が自分に有利だった。大した苦労もせず難関大学に一発合格。が、大学卒業後の進路となると、当時の日本の民間企業は、4年制大学出身の女性を門前払い。司法試験や公務員試験は表向き男女差別はないということだった。パスポートも持ったことがないのに、漠然と海外に憧れ、外交官を目指したものの、外務省は海外勤務があるせいか、長い間女性を採用していなかった。私は、ハードルが高いと闘志を燃やすタイプ。こんなおかしな役所、突破してやる。 めでたく合格。すぐに、自分はこの役所には向いていないと感じた。外務省が問題なのではなく、自分が組織に向いていないだけ。はっきり認識していたわけではないが、なんでこんな無駄な仕事をするのか、この作業の意味は何か、税金の無駄遣いではないか、と上司の命令に従う前にあれこれ思うタイプなので、民間企業でも居心地は悪かっただろうと思う。 違和感を感じ続けて34年。「公務員を税金で食わしてやっている」「お前らは公僕だ」と大して税金を払っているとは思えない人たちから批判された。民間企業が4大卒の女性を門前払いしていたのに、公務員しか門戸が開けていなかったのに、と言いたいことは山ほどあったが、「税金で給料を支給されなくても、自分で十分稼いでみせる」と思い、退官を決意。 公務員全般、特にキャリア官僚が批判されたのだが、私自身が批判される種をまいてしまったのも事実。20年以上も昔、外務省から大学に派遣されていた時、マガジンハウスから「女ひとり家四軒持つ中毒記」という本を出版した。当初はまあまあの評判だったが、外務省の経理担当職員がいわゆる機密費を競走馬やマンション購入に流用していた事件が明らかになり、私の家購入も公金の流用ではないか?と糾弾されることに。 給与を自分なりに工夫して資金にしたのだが、公務員なのでその原資が税金であること、外務省員が海外勤務すると高額の在勤手当が支給されることの2点で厳しく批判された。 良好な住環境への強い思いをつづった本が怨嗟の的になってしまった。実際には、日本政府から税金が原資の在勤手当が支給される大使館勤務は一度きり、3年しかしていなかった。もらってもいないのに沢山もらっただろ、と糾弾されるのはおおいに不本意だった。 外交官の仕事は大きく分けると、 (1)本省で政策立案し、政治家の支持を得、必要な予算も確保し、政策を遂行すること、 (2)海外で大使館員として日本政府の主張への任国政府と任国国民の支持を得ること、 のふたつ。外務省を辞める前にせめて二度目の大使館勤務をしてみたかった。 任地はスイス。永世中立、赤十字、アルプスの少女ハイジで表面的な印象はキレイな国だが、実態はマネーロンダリングの巣窟。世界中の独裁者や犯罪者が怪しげなお金をスイスの銀行に隠している。日本の闇金融の帝王と呼ばれた人も50億円以上、スイスの銀行に隠し、そのことが明らかになると、スイスのチューリッヒ州政府はちゃっかりその大金をクレディ・スイス銀行から没収してしまった。本来なら、日本の闇金被害者に返還されるべきお金なのに。 スイス政府は連邦政府は銀行のある州には口出しできないとか、日本には返還を可能にする国内法がないとかを口実にぬらりくらりと一向に返還する気はない。日本政府(財務省、外務省、法務省、警察庁)も闇金被害者は自業自得、という考えでお金を取り戻す気概に欠ける。大使館の上司も同僚も同様。政治家やマスコミにお尻を叩かれない限り、役人は積極的に動かないものなのだ。 2年かけて交渉し、お金はチューリッヒ州政府からスイス連邦政府経由で日本政府の国庫に、そして自身が闇金被害者だと証明できた人の手に戻ることになった。 自由貿易、投資を可能にするアジア太平洋諸国とのTTPやEUとのEPA交渉に比べれば、関係する国の数はスイス一国なので難易度も経済的なインパクトも比較にならない成果かも知れない。が、私はスイス政府との交渉は実質一人でやり遂げたと思っている。スイス大使館勤務時代、鈴木宗男氏や佐藤優氏があらためて私の以前の著書を国会で持ち出し、週刊誌にもあることないことを話していた。その悔しさが、スイスから闇金被害者のお金を取り戻すことの原動力の一部になった。 成果を上げた時点で退官しても良かったのだが、もう一つくらい大使館勤務をしてみたい、きっと役人の「不作為」で放置されている仕事があるはずだ、またそういう課題を解決してみたいと思ってしまった。実際、次の任地チュニジアにも放置されていた案件があった。 今度は日本企業が政府開発援助ODA事業で被った損失を取り戻すこと。こちらも、歴代の大使が放置していた難題。損失回収のめどがついたところで、あまりにお粗末な大使の元で働くことに嫌気がさし、日本に帰ることにした。日本では、自分の力で外貨を稼ぐ事業を展開し、魅力的な観光資源を生かしきれていない日本を「観光立国」にする一助になりたい、と退官後の計画を練った。 そこへ2011年3月11日の東日本大震災、続く原発事故。日本から外国人観光客はおろか、駐在員すら消えてなくなり、一部の日本人も東京脱出。誰も宿泊施設のことなど考えなかった時、京都で町家を再生した宿泊施設を購入した。これを一つの柱にし、それ以外のことは退官後に走りながら考えることにしよう、まず、一歩を踏み出さねば。2012年5月1日、外務省を後にした。 その後、スキー大国スイスで考えていた、日本の雪の魅力をアジアの新興国の人々に伝える事業も長野県白馬村で開始。日本政府もインバウンド観光客の数をどんどん増やす方向に向かい、訪日ビザ取得の緩和や免税品を購入しやすくする方策が実現した。ビザは法務省、免税品は国税庁の所管。現役時代も感じていたが、外務省は海外との接点とはなっても、国内の制度を変更するには、ほとんど力ない役所だった。 2020年8月の東京オリンピックで観光立国日本もいよいよ高揚するはずが、新型コロナウイルスの世界的蔓延で、海外との交流はほぼゼロに。オリンピックを当て込んでホテルを新築した会社の中には、倒産するところも出てきた。 私は2019年のうちに、京都の宿泊施設その他を売却済み。猫も杓子もインバウンド、と宿泊施設同士の競争が激しくなり、また数が爆発的に増えた訪日客の中にはお行儀の悪い人も目立つようになり、自分のインバウンド事業は収束の時期だと感じたからだ。 事業のかたわら大学で教鞭をとっていたが、これも2020年3月末で終了。白馬のスキー客を3月半ばに送り出し、緊急事態宣言が発せられたのは、4月7日。日本全土で外出自粛が要請されたが、自分自身も特に外出する必要性のない状態になった。 そこでたっぷりあるおうち時間を楽しむため、まずは不足しているマスクを作り、パンも焼いた。衣食住に時間をかけるようになったので、アカウントだけ作っていた「はてなブログ」に、衣食住に関するコンテンツを書き綴っていった。 元外交官としての思いは別のブログに書き綴っていたのだが、2021年1月をもって「はてなブログ」に合流させることにした。ブログの移管に当たっては内容に即して少しづつ加筆修正、整理していくつもり。 顔写真は「週刊新潮」や「週刊文春」でたたかれていた時、誰かがネットに流出させていたので、今更愛犬ポチの写真を使う必要もない。 はてなIDの「家売るおんな」は、京都の家や東京のマンションを売る際、北川景子主演のテレビドラマがあったことを思い出したから。家、住環境、インテリアに対する思いは人一倍強い。人口減少、高齢化、新築信仰、空き家の激増、アパート経営の不透明さ等々は、「女ひとり家4軒持つ中毒記」に指摘した通り。エアビーアンドビーが実現した、余った部屋を貸す事業の必要性もあの本に言及していた。が、ITを駆使してそれを実現できなかったのは、自身の才覚の欠如だろう。 事業用の家は一時期7軒あった。自分のお金やローンをやりくりして購入資金に充てたが、今は大きく縮小して東京の住宅街の一軒家にこもっている。 コロナの収束はいつのことやら、おうち時間を利用して、ソーイングやレシピ以外の、より社会的なコンテンツをこちらのブログに書き加えていくことにする。
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