パブリック・ディプロマシー日本外交に望むこと

34年間の外交官生活を振り返って

最高裁判決、LGTB理解増進法成立とりゅうちぇるさん自死

7月12日、タレントのりゅうちぇるさんが自殺した。

今、メディアでは匿名のSNSでの誹謗中傷が原因ではないか、という論評、コメントが沢山出ている。

 

バライエティ番組にパートナーの女性と出ていた若い頃は、女性っぽい(これも問題のある形容か?)しぐさ、しゃべり方の男の子、ちょっと変わったファッション、化粧の人、その後結婚し、一児の父になり、離婚、そして心は女性を自認するとカミングアウトした、なかなか勇気のあるタレントさん、というイメージの人だった。

 

りゅうちぇるさんの自死前、政治、司法の場面では、二つの大きな動きがあった。

6月16日、「LGTB理解増進法」成立

7月11日、女性を自認する経済産業省職員の職場のトイレの使い方に関し、役所の対応を違憲とする最高裁判決がでた。

 

新たな法律についても、最高裁判決にも、体と心が女性と一致していると「自認」する自分は正直、困ったな、という気持ちになった。

 

一度だけ、クラブツーリズムの女性限定の旅に参加したことがある。これからは、戸籍と自認が一致しない女性も参加することになりそうだ。クラブツーリズムは民間企業だが、他の参加者の心理的抵抗を理由とした営業上の理由で、女性と自認する人を拒否することはできなくなるのだろう。

 

最高裁判決の後、ひろゆき氏が「トイレだけではなく、これからは残業する人用の職場のシャワー、仮眠室についてもこの判決が適用されることになる」という趣旨のツイートをしていた。なるほど。

 

深夜残業を終えて自宅に戻るよりも、役所の「仮眠室」(自分が若いころは「霊安室」と呼ばれていた)で仮眠すれば、職員の体力も温存され、職員の時間と役所のタクシー代(すなわち税金)も節約できるということだった。昔は真夏でも夕方6時にはエアコンは切られた。今はもっと職員の勤務環境は改善されているのだろうが、役所側には職員の性的自認と施設の使用の再検討、という新たな課題が突き付けられている。

 

りゅうちぇるさんは子どもがいる。普通の男女のカップルのように子どもを授かったのだろう。精子バンクを使ったという報道はない。最高裁判決の原告の方同様、肉体的な性適合手術を経ていないようだ。

 

女子トイレは個室だけど、最近は男女に分かれていないトイレも増えているという。

りゅうちぇるさんのような人、経産省職員のような人が、女性用とされている銭湯、温泉施設に入ってくることを受け入れることはできない自分は差別しているのだろうか?

日本の混浴施設が欧米から野蛮だ、と言われることもあったが、スイスのサウナは、男女に分けられておらず嫌だった。露出狂っぽい男性、女性が嫌がるのを楽しむ男性もいる。

 

1964年の東京オリンピックでは、女子砲丸投げソ連のタマラ・プレスという金メダリストが印象に残っている。女子ではなく男子ではないか、ひげも生えているし、という噂も当時あった。今後、スポーツにおける男女の記録の検証が必要になるのだろうか?男子に生まれた人が、女性と自認して女子選手として競技に参加するようになるのだろうか?

自分は男性優位の日本で女性に生まれ、白人優位の世界ではアジア人という少数者、でもアジア唯一の先進国(当時)出身という更に少数者として働いてきた。少数者の声、立場にも耳を傾けてくれる「多様性尊重」は歓迎すべきことだと思ってきた。

が、肉体と心が一致しているという点では多数派なので、この面での少数者の立場は理解できない。

 

幼児の頃、何の疑問も持たず男の子は乗り物を集め、女の子はままごと遊びをすると思っていた。中学以降の「技術・家庭」の授業では、男子は電気や工作を学び、女子は料理、裁縫を学んだ。

 

それでも、高校3年の担任教師が卒業の日に、

「約束の場所に、男は顔を洗わなくてもいいから時間に間に合うように行け。女は遅刻してもいいから化粧してから行け」

と言ったことに、「なんや、このセイセ?!」と思った。

 

大学4年で、99%の民間企業の就職案内は男子学生向けだった。京都大学法学部だから、男子は皆当時の優良企業(のちに潰れる日本長期信用銀行を含め)に就職していった。

自分を含めた少数の女子学生は司法試験や公務員試験を目指すしかなかった。

 

性別同様、こころと身体の性が一致しないということは、本人の意思で変えることはできない。性同一性障害の男性や女性は、当時の私のような気持ちなのだろうか?そもそも「障害」と呼んでいいものなのだろうか?

 

それに。りゅうちぇるさんの自死とLGTB理解増進法成立や最高裁判決は関連はないのだろうか?タイミングが合致し過ぎている。

 

(2023年7月16日記)