パブリック・ディプロマシー日本外交に望むこと

34年間の外交官生活を振り返って

学校の説明責任(2014.04.21作成)

息子が通うアメリカン・スクールから、保護者全員宛てのメールが来た。

 

1960年代から20年以上勤務していた男性中学教師が、「女子と思われる」生徒複数に対し、セクハラをしていた、というのである。教師は物故者、当時の中学生も今では還暦を優に超える。

 

学校は教師の実名をあげて、「わが校の歴史における汚点」としている。複数の卒業生の証言と本人の生前における告白から間違いないとのことだ。教師は学校退職後も、コンサルタントとして死ぬまで学校と関係があったらしい。

 

カトリック教会の聖職者による少年へのセクハラがバチカンを揺るがす問題になっている。東京のアメリカン・スクールは、幼稚園から高校まで生徒数1000名を超え、生徒数に従い教員数や事務職員の数も多い学校だから、このような不祥事があっても不思議ではない。校長と保護者代表の連名で不祥事防止に取り組むとしている。

 

このメールを読んで感じた点はつぎの通り。

1.アメリカにも退職者が嘱託、顧問の形で、居残る手段がある。

2.「死者に口なし」、実名をあげて断罪し、「死者に鞭打つ」文化なのだ。

3.セクハラ以外に金銭面の不祥事はないのだろうか?

 

同じ校長名で、同じ時期に不思議なメールが来た。「モルガン・スタンレーの「資産運用(ウエルス・マネジメント」に関するレポートが出色なので、是非読むとよい」という推薦文だ。資産運用に関心をもつなんて、アメリカン・スクールの校長は資産家なのか?アングロ・サクソン系の教員資格をもって、世界中の私立のアメリカン・スクールに赴任するいわば教育界の外交官みたいなものだから、本国で教師をやっているよりは、資産はあるのだろう。教員に子どもがいる場合、アメリカン・スクールに通わせる高額の授業料は無料なので、大変な現物支給の手当てになる点は魅力だし、教育資金で四苦八苦する親と比べても資産形成は容易だ。夫婦で同じ学校に赴任してくれば(そういう例は多い)、資産家への道はいよいよ早い(離婚しなければの話だが)。

 

それにしても不用意なメールだ。学校の保護者には、モルガン・スタンレーだけでなく、ゴールドマン・サックスや、欧州系の金融機関に勤務する保護者も沢山いる。特定の金融機関のレポートを校長が絶賛するとは。

 

リーマンショックの後、日本の三菱東京UFJは苦境に陥ったモルガン・スタンレーに対し相当な資金協力を行った。プレスリリースによると9ビリオンドル、90億ドル、1ドル百円としても9000億円、三菱はモルガン・スタンレーの株を20%保有する大株主である。だから、モルガン・スタンレーのことを褒めることは、邦銀を褒めることになる、ことをこの校長は知っているのだろうか?。学校のBoard(ボード)メンバー、役員にモルガン・スタンレーの米国人社員がいる。先日、新幹線の中で(今年の)「3月24日から、三菱東京UFJメリルリンチPB証券は、三菱東京モルガン・スタンレーPB 証券と社名変更し、プライべート・バンクとして資産運用を開始する」という趣旨の広告を見た。帰宅後、校長のメールの日付を見ると、3月29日付けであった。この役員から頼まれたのだろうか。保護者全員に宣伝してくれ、と。いくばくかの報酬(飲食を含め)を得ていれば、セクハラと同じくらいの不祥事だ。

 

概して、この学校は金銭にはルーズだ。保護者の多くは金持ちだから、細かいことには目くじらをたてない。息子がテニスの交流試合で、一泊二日で神戸にいった。宿舎は相手の学校の体育館。寝袋持参だからホテル代はかかっていない。保護者にはひとり35000円の請求があった。新幹線のこだまで、学生割引、団体割引を利用すれば、往復20000円程度。テニスコートも相手の学校の施設を使うのだから無料。生徒が20名として、20X35000円で引率の体育教師が集める額は70万円。教師2名分の交通費引いても、謝礼は結構な額になる。アメリカの大学は、学業以外にスポーツやボランティア等の課外活動を積極的に行ったかどうかという点も入学選考で重視するという。保護者は、自分の子どものスポーツにおける課外活動の機会を積極的に設けてくれる体育の先生には頭が上がらない。日本の生徒や保護者が「内申書」の内容を気にするのと同じだ。

 

日本の会社は、監査役がお友だち、お仲間で内部チェックが働かない、と批判されるが、所詮は人間が営む組織。アメリカの組織でも内部チェックをうるさくいう人は嫌われるのだろう。そのくせ、ひとたび不祥事が明らかになれば、これまでの仲間も、死人に口なしとばかり実名を出して断罪する。80年代にセクハラという概念が確立していたとは思わないが、漠然とした噂は当時からあったに違いない。そういう人に、嘱託、コンサルタントとして死ぬまで幾ばくかの報酬を与えていたのだ。「お仲間」だから。   (了)