パブリック・ディプロマシー日本外交に望むこと

34年間の外交官生活を振り返って

国家公務員倫理法と私――「文春砲」、鈴木・佐藤の外務省私物化=菅総理の総務省「天領化」

国家公務員倫理法の運用にはグレーゾーンが一杯

総務省幹部らに対する高額接待が話題になっている。大蔵省銀行局を中心とした「ノーパンしゃぶしゃぶ」不祥事で国家公務員倫理法が施行されたのは2000年。

 

当時私は乳飲み子を抱えて国立大学で教鞭をとっていた。国立大学の教官は「みなし公務員」とされていた。その後大学は「国立大学法人」へと法人化し、教員は「非公務員」となった。大学の教官の地位は過渡期にあった。

 

外務省はじめ国家公務員倫理法(以下「倫理法」)が明確に適用される「国家公務員」所属する省庁で仕事をしていれば、省員一人ひとりに影響する新たな法律が施行されることになるので、組織的に周知徹底する機会が設けられ、意識の低い省員でもそれなりに個々の条文を知ることになったはずだ。今回の総務省幹部の接待会食は、100%倫理法違反で言い逃れの余地はないが、2000年当時、施行されたばかりの法律の運用は五里霧中の面があった。

 

大学の教官だった私は「そうした」(菅総理が頻繁に使う言葉)情報を周知させられることもなく、必要なら自分で情報を得よ、ということだった。大学での講義の傍ら、かねてから強い思いを抱いていた「日本の住宅」について本(「女ひとり家四軒持つ中毒記」)を執筆し出版した。印税は確定申告し、納税した。

 

本の出版については、国家公務員倫理審査会事務局が作成した規程の適用事例集によると、次のようになっている。

「利害関係のない事業者から」「(社会通念上妥当な)原稿執筆に係る報酬を受け取って差し支えない。」 「執筆内容が、職員の現在の職務に関係するものである」(場合は)、「贈与等報告書の提出が必要である。」

 

後述する鈴木宗男佐藤優コンビが、この本の印税受領に関し「贈与等報告書として提出していない」ことをやり玉に挙げたのである。「執筆内容が、職員の現在の職務に関係するものでない」から、報告書の提出は必要ないはずである。

 

実は、この本が出版され、一部で話題になり始めた頃、私は当時の人事課長に非公式ながら報告をしているのである。いや、課長の方から「清井さんの本を読みたいと思って霞が関虎ノ門の本屋を回ったが置いていなかった」というメールが来た方が先だ。倫理法を運用する最前線にいる人事課長は「印税を受け取ったのなら、贈与等報告書を人事課に提出するように」と私に指示、助言できたはずだが、しなかった。この件について書くと長くなるので、後日別のエントリーで詳述することとする。

 

努力や工夫は認めず、ひたすら税金で給料をもらっているくせに、と糾弾したい人々

私の住宅購入の資金は税金を原資とした公務員給与だけではない。アジア開発銀行も国際機関だが、活動資金の大半を加盟国からの税金を原資とする拠出金に頼る難民高等弁務官のような国連専門機関ではなく、実際に金融業務を行い、事業収入を得る組織であった。こういう民間企業の要素もある組織、実際民間企業出身者も多く働いていた組織に勤務した経験は、公務員給与だけ頼る外務省生活では得られないものであり、住宅購入に当たっては失敗への反省も含めて多いに参考になった。また、退官後の自分の事業計画を練り、実行する上で大きな収穫であった。現在の経済同友会代表幹事の桜田謙吾氏も、同時期アジア開発銀行に在籍していた。

 

金融機関とは言え加盟国間で作り上げた組織だから「大甘」だろう、と言われそうだが、当時の日本の民間金融機関や大蔵省の息がかかった住宅専門公社(住専)の体たらくは「大甘」どころではない。不良債権処理に手間取り、倒産、廃業に至ったか、多額の公的資金(税金)に頼り、組織の再編成を余儀なくされ銀行の名前まで変わってしまったのだ。みずほも三菱東京UFJも三井住友も。

 

横領のような違法行為など全くもって犯していない。機密費を業務上横領した要人外国訪問支援室長とは違う。公務員給与は行政サービスに対する対価、投下労働に対する報酬である。給与から所得税、住民税も源泉徴収されている。だが、公務員というだけで断罪される。「公僕だろ」「税金で食わせてやっている」と言う人に限って、所得が低く、大して税金を納めていないことが多い。国家公務員の給与は国会で予算として審議の対象になり、明細は官報に記載される公開情報である。給料や手当を工夫して住宅購入に充てた。それがけしからん、という。

 

自分で出版社を見つけ、印税は(税金からではなく)マーケットから得た

私の場合は、外務省の仕事とは全く関係のない住宅問題について、マガジンハウスという役所とは何の関係もない、利害関係など全くない出版社からの出版であった。

残念ながらタイミング悪く、

(1)いわゆる機密費を私的流用し、服役した要人外国訪問支援室長の事件があり、

(2)外務省のロシア政策、政府開発援助に関することは、すべて自分が仕切る勢いだった鈴木宗男氏とその子飼いの佐藤優氏が、外務省から手のひらを返され、二人とも犯罪人として収監された

時期であった。

 

鈴木宗男佐藤優の言動には虚偽がある

「飼い犬に手を噛まれた」と思ったのか、逆ギレした二人は、外務省を骨の髄まで憎んでいた。自分たちが外務省予算や政策を骨の髄まで食い尽くそうとしたことを都合よく棚上げし、外務省、外務省員にかかわる少しでも難癖をつけられる話は不祥事にしようと、国会で質問主意書を連発したのである。私の本は、彼らにとり恰好の攻撃対象となった。

 

鈴木、佐藤ともに、私がまるで違法行為をしたかのように書いたり、しゃべったりし、大使館勤務をしている際の手当や接待・交際費を不正流用したかのように印象操作した。なお、私はアジア開発銀行という国際機関には勤務したが、本を出版するまでに経験した大使館勤務はベルギー大使館の3年間のみであった。佐藤氏はこうした事実には意識的に触れない。私が佐藤優があちこちに書いていること、しゃべっていることを信用しないのは、私自身について全く事実とは違うことを平然と述べていたからだ。他の外務省員や彼が専門だとするロシアについて彼の言動も、眉唾だと受け取っている。

 

鈴木・佐藤の外務省私物化=菅総理総務省を自己の天領に、は同じ構図

違法接待で次官の目がなくなったと言われる谷脇総務審議官や山田内閣広報官を手先に、菅総務大臣官房長官―総理が総務省を「天領」としてきた令和の事象と、鈴木官房副長官が、外務省員の佐藤氏を手先に、外務省を何年にもわたり私物化、「天領化」してきた平成初期から中期にかけての構図は全く同じだ。

 

政治家と手を握る役人がおり、その政治家の威光を組織の隅々に行きわたらせ、人事で脅すやり方は実にクラシックだ。プーチンとその手先も同じことをロシアで長年にわたり実践しているのだろう。鈴木・佐藤コンビがどれだけ恫喝、恐怖政治で外務省内を跋扈し、国費(外務省予算)をどれだけドブに捨てても、北方領土は1平方ミリメートルも戻ってこなかったことを忘れてはならない。

 

「文春砲」を放たせるのは個人の怨嗟、嫉妬

加えて、大学に出る前に国際報道課長(外国の報道機関への対応が仕事)だった私の本は、

(3)外国の報道機関の日本支社で非正規雇用だったらしい女性のチクり

により(小さな)「文春砲」の題材になった。

 

総務省東北新社の違法会食の後追いし、「「文春砲」にタダ乗りするメディア」と揶揄されている大手新聞テレビだが、怨嗟、嫉妬をエネルギーに誰かをチクり、引きずり下ろしたい人間にとって、当時も今も(大手新聞テレビではなく)「週刊文春」こそが恰好のタレこみ先なのだ。

 

チクる人は「週刊新潮」や夕刊タブロイド紙やスポーツ紙にもタレこんでいるのだろうが、これまでの(輝かしい?)「実績」を踏まえれば、タレコミ側は必ず「週刊文春」をタレコミ先に入れ、タレこまれた文春側は精鋭を集めて、総務省東北新社の会食先の近くに席をとり、録音機まで回すのである。成功率の高さと影響力の大きさは、今後も「週刊文春」の一人勝ちとなると思われる。

 

ムラオサの恫喝につけこまれるのは不甲斐ないから

職務とは関係のない執筆で、大学の教官=みなし公務員であったので、厳格に倫理法を適用すれば、私の印税収入は「贈与等報告書」として報告する必要はなかったはずだ。実際、国家公務員倫理審査会でも報告違反とすることに逡巡する意見もあったと聞いている。が、色々な悪条件が重なり、「報告しなかった」ことが倫理法違反だ、とされたのである。佐藤優鈴木宗男を通じて私が印税を確定申告したかどうかまで、外務省に調査させた。申告していなかったら、鬼の首でもとったように騒ぎたてたことだろう。

 

総務省のことは知らない。が、外務省が鈴木―佐藤に私物化されたのは、二人の悪行を横行させた外務省幹部の不甲斐なさにある。先日来、三重県津市の職員が相生町自治会長に土下座させられ、同人の私的業務に市役所職員=「公務員」が駆り出され、パーティ券の配布までさせられていたという事件が報道されている。そういえば、関西電力の幹部が、原発立地の自治体助役の存命中、多大な金品を贈られ、受領拒否できない状況に置かれ、助役の意のままに操られていたという事件もあった。

 

日本社会ではこういう地域の顔役、村長=「ムラオサ」による恐怖政治が頻発する。鈴木・佐藤コンビ事件も、ガバナンスの欠如問題の一例だ。「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件の頃、反社勢力の関与により金融機関が不良債権を抱え込み、その数字すら把握できず、不良債権処理を敢行しようとすれば、当人だけでなく家族の命の危険さえあったという。実際、不良債権がらみで自殺した人も一人や二人ではない。が、外務省員も、津市職員も命の危険にまで晒されていたのだろうか?恫喝に震え上がり、忖度、自己保身ゆえに歯向かうことができず、行政の公平・公正を犠牲にしただけではないだろうか?

 

新聞テレビの一般メディアが、「文春砲」の後追いで総務省の問題を記事にしているのも情けない。当時、外務省が鈴木・佐藤にいいようにしてやられていることに気づいた「霞クラブ」の記者も大勢いたはずだ。総務省記者クラブも、省内の菅マフィアの跋扈には何年も前から気が付いていたに違いないが記事にしなかった。発信力皆無の菅官房長官が、「ご指摘にはあたらない」「まったく問題ない」「適正に実施されている」というフレーズで8年近く官房長官記者会見を乗り切ったのは、記者の不甲斐なさでもある。

 

意に沿わない官僚は左遷する、という恐怖政治を実践してきた菅総理は、自らの利権に卑しい総務天領の顔役、ムラオサの一人にすぎないことがはっきりした。日本の携帯電話会社が宇宙の基地局を舞台に、世界に打って出る、というグローバルで夢のある話ではない。若者には行き渡り、高齢者をスマホデビューさせることで利益を確保しようとする先の明るくない国内の小さいパイの分け合いを、自分の領地にしている。ちいさい、ちいさい!

 

収監された佐藤優は、読書家で博識、筆も立つのでシャバに戻ってからは出版社の寵児となった。出版界の新たなスターが生まれるまで使い倒され、同じようなことをあちこちに書きまくるのだろう。同氏の外務省関係の本はざっと立ち読みしたが、性に関する表現は相当きわどい。よくこんなものを出版するな、と思ったが、出版社も売れっ子のご機嫌を損ねたくないから目をつぶっている。

 

サトウサンペイという漫画家がいたが、朝日新聞夕刊の4コマ漫画は森元総理の「女性が参加する会議は時間がかかる」発言などかわいらしく思えるくらい、セクハラそのものだった。当時は糾弾されなかったのだろうが、佐藤優の下ネタも同類だ。彼の本を読んで日本国は、日本国民は豊かになったのだろうか?「知」を消費財にしているに過ぎない。何よりも、同人が鈴木宗男というムラオサの威を借り、恐怖政治により外務省を私物化したことを忘れてはならない。そして北方領土は1ミリ平方メートルも戻ってきていないことも。

 

それでも、私は週刊文春にも、チクった女性にも、鈴木・佐藤にも感謝している

なぜなら、その後、

  • 納税者に私が国家公務員であったことにメリットがあったと思わせる実績をつくる
  • 退官後は絶対に役所の関連団体から報酬を得るようなことはしない
  • 自分の才覚でマーケットから収入を得るー外務省員であったからには、日本国の国富を増やすためにも外貨を稼ぐ

ことを決意し、実現できたからだ。

文春や鈴木・佐藤になんと言われようと、胸を張って反論できる数字がある。闇金融の帝王と呼ばれた犯罪者が、スイスの銀行に送金した闇金被害者の資金を取り戻したこと、政府開発援助事業に参加した日系企業の大きな損害を相手国にも負担させたこと。いずれも十数億円単位だった。鈴木・佐藤は湯水のように国費をロシアにつぎこんだが、先方から獲得したものはあるのか?日本国民のためになるものはあったのか?

 

10年前、福島第一原発事故で外国人(駐在員も旅行者も)が日本脱出をしていた頃、観光立国日本で外貨を稼ごう、とインバウンド客に照準を合わせた事業を開始した。その後、猫も杓子もインバウンド事業に参入する中、さっさと出口戦略を考え見切りをつけたところにコロナが襲ってきた。税金は納めるものであり、たかるものではない。参入も退出も人より早く行動し、マーケットと向き合って自らの生活基盤を整えた。

 

2000年当時とは異なり、個人の発信手段は格段に多様化した。今更出版社に売り込み、編集側の意向に沿って印税を得る必要もない。鈴木・佐藤の虚偽発言への反論も含め、このブログで自由に書いていく。これが私の倫理法だ。                     (了)