パブリック・ディプロマシー日本外交に望むこと

34年間の外交官生活を振り返って

鈴木宗男氏との接点(2013.01.07作成)

2000年11月、「女一人家四軒持つ中毒記」なる本を大阪大学教官時代に出版したが、折からの外務省不祥事(経理担当課長補佐による公金横領事件)露呈時期と重なり、住宅購入費はすべて税金だとお叱りを受けた。外務省員の給与は、外務省という行政組織の事務をこなす対価であるが、その原資が税金であることは間違いない。

 

続いて2005年、外務省が「ずぶずぶ」と表現された鈴木宗男議員との関係を見なおしたが、鈴木さんは「恩を仇で返され」坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと思ったのか、外務省バッシングの材料の格好の材料のひとつとして拙著を取り上げ、国会でも質問主意書を連発し外務省官房当局をねじあげた。その背後には、佐藤優氏がいたことは間違いない。両名とも、外務省を死ぬほど憎んでいる。外務省とその公金を利用した両名も、両名を利用したロシア関係の外務省員の互いの裏切りが問題の根底にあるようだが、私自身は両名に恨まれるようなことは何もしていない。

 

私と鈴木宗男さんとは接点はただ一回だけ。このブロブ最後の通り、サッカーの中田英寿選手と鈴木さんと映っている写真がある。1999年初頭の小渕総理の欧州訪問の際、たまたまイタリア滞在中の一日が日曜に当たり、中田選手の属する試合が午後ペルージアであった。当日の朝、鈴木官房副長官からの直々のご指名で、サッカー場まで同行するように言われた。余程の理由がない限り、官房副長官からの要請は断れない。総理の同行者の中で、私が唯一の女性課長だったからだろうか。恨みを買うこともしていないのになぜあれだけ鈴木さんに叩かれたのか、ペルージア同行ご指名の理由とともに、ご本人に聞くしかない。

 

私自身は外務省を辞めようという覚悟で出版したのだが、その時点で大使館勤務は一度しか経験していないにもかかわらず、「役人人生の大半を大使館勤務」と事実に反することを書く人がいたので、もう一回くらい大使館勤務をやってから退職しようと思うことになった。「日本国民の生命、財産を守るために働き」「日本の代表として見苦しくない生活を海外において送る」ため、大使館員には在外勤務手当(海外勤務にあたって本俸に上乗せされて支給される手当)が支給される。肩書と報酬に見合った仕事を成し遂げようという意気込みでスイス大使館に赴任した。

 

スイスでは闇金融被害者の財産約30億円を取り戻すことができ、またその勢いで転勤したチュニジアでは日本企業の損金約13億円を取り戻すこともできた。(別の機会に詳述するが、スイス大使館勤務だけで退職しておいた方が良かったと思う面もある。)鈴木宗男さんはもちろん、納税者に対し、数字をもって外交官としての存在意義を示すことができたと思う。その意味で「鈴木宗男さん、ありがとう」なのである。 

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鈴木宗男氏に所望されて、中田英寿選手のサッカーの試合に同行した

                              (了)