パブリック・ディプロマシー日本外交に望むこと

34年間の外交官生活を振り返って

内館牧子「終わった人」―英国は成仏し損ねた国家(2019.11.16作成)

 

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数年前、出版されて間もなくスタバ併設のTUSTAYAでざっと読んだことがある本。

 

時々、カフェと本屋が一緒になったところに足を運び、新刊書数冊を2~3時間かけてざっと読む。ほとんどの本はこういう読み方で十分だ。じっくり読みたい時はKindleやハードカバー本も買うことはある。ハードカバは古本屋に持ち込んでも二束三文なので、場所を取らないKindleにすることが多い。スマホ画面の小さい文字を時に拡大しながら新幹線の中で読む。強い近視なので、歳を重ねても小さい字でも結構苦にならない。

 

終わった人」を改めて読み直してみると、時間に追われてカフェ兼本屋で流し読みした時に見逃していた名言がいくつもある。東大法学部卒、メガバンクで役員になり損ね、子会社で定年を迎えて成仏しきれない主人公のうじうじ夫に言い放つ妻千種のセリフだ。

 

  • 「(定年後の夫婦が)外で食べたり、遊んだりするには、経済力と健康が必要で、それがない人のことを何もわかっていないとかね」
  • 「私が学校に入ろうって決めたのは、あなたが四十九の時よ。役員の目が消えて子会社に行くように言われた時。私ね、あの時にやっと気づいたの、他人に使われて生きていくのはイヤだって」
  • 「私、身にしみたから。人生なんて、先々を前もって考えて手を打っても、その通りにはいかないものだって」

威勢のいいセリフだ。

7年前、退職してすぐ、退職金の預け入れと運用の相談(*)に行った虎ノ門の金融機関の女性職員は、「沢山の退職された方とお話してきましたが、概して女性の方が思い切りが良いですね」と言っていたことを思い出す。

 

(*)退職金を預けに来る人は銀行にとって、ネギをしょったカモ。銀行は客の立場や属性に関係なく、銀行に入る手数料の多い金融商品を勧める。デフレの時代は、低金利でも定期預金にしておき、勧められるままに毎月分配型投資信託など決して購入してはいけない。

 

うじうじ夫も最後には達観する。以下がその述懐。

  • 先が短いという幸せは、どん底の人間をどれほど楽にしてくれることだろう。
  • いや、その幸せはどん底の人間でなくても、六十過ぎにはすべてあてはまる。「先が短いのだから、好きなように生きよ」ということなのだ。
  • 嫌いな人とはメシを食わず、気が向かない場所には行かず、好かれようと思わず、何を言われようと、どんなことに見舞われようと「どこ吹く風」で好きなように生きればいい。
  • 周囲から何か言われようが、長いことではないのだ。「どこ吹く風」だ。
  • これは先が短い人間の特権であり、実に幸せなことではないか。

 

 この本の最後の方に主人公の高校の同窓会の話が出てくる。岩手の進学校の話だが、なぜか登場人物はみな男性だ。その部分を読んでいた時に、大阪の進学校である私の高校の同窓会の忘年会の案内が来た。私の高校は男女共学だったが、同窓会の案内の発信者はどういう訳かいつも同じ女子である。「世話焼き会」と称しているが、実質彼女が事務局というか秘書的業務を一手に引き受けている。多分好きなのだろう。感じの良い、明るい女子生徒のまま歳を重ねていった。彼女に敵はいない。が、同窓会の会場を選ぶのもイベントの企画をするのも、なぜかメガバンク(!)に就職した男子だ。昭和の高校時代の男女の役割分担が如実に現れている。もっとも令和になっても、大学のスポーツクラブのマネージャーは、manageすることなく秘書兼家政婦みたいな仕事をする女性のことだ。

 

その方が収まりが良いのだろう。女性にそういう役割を期待する男性(女性も)が多数いて、その期待にしっかり応える女性がいる。私も「終わった人」で、「けしからん」などとフェミ意識全開で腹を立てるステージはもう終わったのだ。

 

この本の「あとがき」で、内館さんは「終わった人」について「重要なのは品格のある衰退だと私は思います」という国際政治学坂本義和の発言を引用している。外交官を志した私と同世代の人なら、一度は名前を聞いた高名な学者だ。高齢者は品格のある衰退を受け入れるべきであるということに異論はないが、坂本氏が模範とする英国は、それを国家として全く実践していない。ここ数年のBrexitをめぐる迷走をみると、はた迷惑な、かつて栄華を誇ったことのある成仏し損ねた旧帝国であり続けている。米国というかつての植民地(息子)は親をはるかに凌駕するほど強大になり、中東、アジア、アフリカの植民地も失い、何百年と戦争を繰り返したドイツやフランスが基礎を作ったEU欧州共同体に後から参加して歩調を合わせることで一定の発言権を維持しようという道を選んだ時は確かに「品格のある衰退」を受け入れようとしたのだろう。成仏し損ねて、ゾンビのようにふらつき、あちこちに迷惑をかけている。池袋で車を暴走させ、素敵な母娘の命を奪った元通産官僚が、贖罪意識もそこそこに「高齢者が安心して車を運転できるような社会になって欲しい」とのたまっている。殺人加害者であることを忘れ、未だに自動車業界に行政指導できると、勘違い役人意識が抜けきれないのだ。英国もこの人と同じただの困った老人だ。

 

もう一つ、内館さんに頼まれて「解説」を引き受けた人の肩書が「三菱重工業相談役」となっている。内館さんが13年間のOL生活送った会社だそうだ。会社なら「相談役」「顧問」「社友」、マスコミなら「特別編集委員」、学者なら「特任教授」等「終わった」感があふれる肩書である。

 

来年3月末を持って、私も「学長顧問」、「客員教授」という肩書がなくなる。小さな小さな自営業者として、誰の世話にもならず、好きなように余生を過ごそう。                                   (了)