パブリック・ディプロマシー日本外交に望むこと

34年間の外交官生活を振り返って

議員の個人商店?―豊田真由子議員(2017.06.29作成)

2017年6月29日、「週刊新潮」に豊田議員の元秘書に対する暴言録音音声が公表された。

 

「死ねば?生きてる価値ないだろ、お前とか!」

 

テレビのコメンテーターは、「議員事務所は議員の個人商店だから、商店主の言うがまま」という趣旨の発言をしていた。

 

役人を経て個人事業主となった者として言いたい。個人事業主は自分で稼いで、雇った人に給与を支払っている。自身の生活費も、自分が稼がなければ日々の生活にすら困窮する。議員は事務所経費も秘書の給与も、もちろん自分の報酬も種々の名目の税金で賄っている。一緒にしないで欲しい。

 

現役最後の大使館勤務時代のことである。大使の奥さんが、宝塚歌劇団所属の長女の公演のためステージママとして日本に帰国するたび、大使は出勤せず、大使公邸で知的障害のある次女の世話をしていた。世界一時間給の高い介護職だ。大使が出勤してくれないと困ることは多々ある。その大使の判断が重要だからではない。大使は日々変化する世界情勢を踏まえた本省の方針を頭に入れておくのは当然だ。その情報は、大使館に物理的に出勤しないと把握できないのだ。勉強しない大使のために、部下が情報をプリントアウトして、重要部分に下線やハイライトをつけて、大使公邸まで届けなければならない。

 

大阪船場のあほぼんが老舗の当主となり、遊びまくって散在するのを番頭以下が苦労して支える、というのは山崎豊子花登筺の小説にありそうだが、税金で禄を食む現代の役人世界では看過できない。

 

知的障害を抱えたお子さんが心配なのは当然だろう。が、大使が守るべき普通の日本国民は、障害のある子どもの世話や老親の介護を、人を雇うなり、自ら世話をするため離職するなりしてなんとかしのいでいるのだ。

 

こういう大使のもとで苦労していた時、ある同僚はこう助言した。「大使は中小企業のオヤジなんだから」

「議員事務所は個人商店」と同じ論法で、「大使館は中小企業」で「そのオヤジは何をやっても目をつぶれ」というわけか?大使が自分の知恵と才覚でお金を稼いで収益を上げて、大使館員の給与を支払い、大使館の建物や自分や家族の住む大使公邸の賃料や維持費を支払っているとでも言うのだろうか?稼がなければ明日のない中小企業のオヤジに失礼だ。

 

それこそ「ち~が~う~だ~ろ!」

 

豊田議員の母親は東京外大出身だという。このお母さん、自分を配偶者だと娘が強弁して園遊会に一緒に参列したから共犯である。「配偶者に限る」という規則を盾にとる宮内庁職員に対し、ごり押しする娘を諫め、参列を辞退することもできた。たとえ、天皇皇后陛下のために一世一代の晴れ着でめかしこんできたとしても。娘が国会議員でも、親はいつでも娘を諭すことはできる。雇われた秘書ではないのだから。

                         (了)

7月26日中部大学講義「グローバリゼーションと日本の若者の未来」(2017.07.29作成)

 

世界の中で日本の置かれた状況

過去、現在比較

日本の経済規模(購買力平価、現在):世界の3.7%(1991年は9%―過去との比較)

全盛期の半分にも及ばない、その間アメリカの経済規模は日本の経済規模の3倍に(人口も2億人から3.1億人)

データにあたる習慣をつける

出典:World Economic Outlook IMF が、英語の原典にあたっての検索は大変難しい

将来研究者、論文、著書発表の場合:自分で一時情報を探す習慣は重要

が、時間を節約するために、ある程度信頼をおける人、団体が編集した日本語の資料を参照するのは時間の節約(資料、統計チェックが嫌にならないために)

なお、IMFのデータも各国から提供された資料を編集している

日本の購買力平価(各国の物価指数を考慮)で世界第四位【中国、アメリカ、インド、日本】

市民一人あたりの生活水準はアジアで5位 (世界で29位)

アジアの富裕国(地域)シンガポールブルネイ、香港、台湾 (2017年には韓国にも抜かれそう)(注)中国は台湾を自国の一部地域としている

成長率(将来):内閣府「国民経済計算」1991-2012 0.9% 2010-14 1.2%

2008 -3.7% 2015 1.5%

他国との比較-横の比較

軍事力:軍事予算世界9位(1%前後) (米国:GDPの3%から4%へ)

 

海外のことを知ると、日本の制度改革の参考になる、ただ、海外のことを知る必要があるのは国際学科に限らない→国際学科出身である付加価値を示す

 

課題

再び世界第二の経済大国になりたいのか?

どのような国にしたいのか?――皆さん方若い人が考え、それを実現してくれる政治家を選ぶこと

その将来像に応じ、課題が違ってくる→対策も異なってくる

国民一人ひとりの経済的、精神的生活が豊かで安定してほしい(犯罪率、民度等に影響)

高度成長を遂げ、成熟経済となった

・生産性をあげること

・これまで力をいれてこなかった分野で外貨を稼ぐ:農業、食品加工、観光、

1.経済社会情勢

少子高齢化 

国の借金 正しい借金(良い借金、悪い借金)返済のメドがあるか?借金をして投資として高いリターンが望めるか?

北海道夕張村→村長、公務員、議員の報酬減、行政サービス減、長野県王滝村→議会廃止

例:スイスの議員は無報酬(海外の例を知ることも参考になる)民主主義の多様なあり方

デフレからの脱却 賃金(給料)、人件費、労働市場

2.国際関係

テロの相手(日本での過去のテロ事件:地下鉄サリン連合赤軍、英国の場合:以前は北アイルランド→ISまたは国内の英国籍のテロリスト)

周辺国(中国、ロシア、北朝鮮)は19世紀の論理で動いている難しい国々→彼らの方が軍事力、経済力で強ければ、その意向に従わざるを得なくなる

 

未来への指針

国も個人も、変わることは悪いことではない 変節、朝令暮改、君子豹変する

強いから生き残ったのではなく、変化に適応してきたから―ガラパゴス ガラケー

任天堂花札)→NINTENDO

ユニクロ(繊維産業=斜陽産業と言われていたが) 東レ

 

1.大学入学→就職を考えるにあたって

労働市場での競争相手は日本人だけではなく、また人間だけではない AI、ロボット

日本が得意とする産業、技術も変遷していく→名古屋地域といえば自動車産業

が、米国では自動運転車(テスラモーターズ)が現実のものとなり、ヨーロッパは2040年までにガソリン車、ディーゼル車の生産終了を目指す

大学も国際競争にさらされている。大学の講義もAI?海外の有名教授の講義もネットでフォローできる時代、海外の大学の学位も遠隔授業で取得可能

 

日本市場は縮小(国内の消費者が減っていくのは確実)→同じ生活水準を維持する=同じ付加価値(output)を創りだしていくには、生産性を上げ、海外に活路を見出さざるを得ない

(以前から資源のない日本は、輸出で外貨を稼がねばと言われていたが、今も同じ)

雇用者は日本企業とは限らない。アジア1豊かなシンガポールは、海外からの投資(税、英語、銀行秘密、会社設立の容易さ等)で豊かさを実現→上司、同僚、部下が外国人であることも、多文化共生―理想と現実は違う(自国民、家族、お友達優遇等)

日本は外国資本にとっては魅力的な投資先か?英語、規制、税率

日本に残る分野:インフラサービス(電力、水道、ガス、道路、鉄道)だが、日本人が雇われるとは限らない。日本人が建設、補修整備するとは限らない(ロボット、AI?)

就職人気企業は過去、現在、未来で入れ替わる

正社員?東芝、シャープ

公務員人気:中央、地方政府は補助金、予算でサービスを提供し、コスト無視し、収益をあげてはいけない→人生100年時代に公務員として長年生活すると、現実世界が見えなくなる

自分の適性、興味のあること、得意分野にいつ気づくか?

成長分野:食品、農産物輸出、観光

経常収支=貿易収支(モノの輸出入)+所得収支(投資など)+サービス収支(海外旅行など)+「経常収支移転」(他国への経済援助)

英語、会計(平たく言うと財布のこと)、法律(リーガルマインドを身に着ける)

 

2.投票に行こう

オーストラリアでは、投票は権利であると同時に義務

民主主義の古参国英国では在外投票制度なし

事前予想に対しどのような行動をするか?

(1)棄権しても、(2)投票所に行き白紙投票しても、(3)事前予想通り投票しても、いずれも事前予想通りになる→事前予想通りが嫌なら投票所に行き、別の名前(党)を書いて投票するしかない

「まともでない人の中から相対的にマシな人を選ぶ忍耐を選挙と呼ぶ」チャーチル

(注)世の中完璧な英雄はいないー過去の英雄は美化されている(坂本龍馬)が、生存中の指導者は毀誉褒貶あり(生前のスティーブ・ジョブズ

 

 

効果測定

  • 日本より購買力平価ベースで経済規模の大きい国を三つ挙げよ。
  • 日本からの輸出が多い国(地域)上位3国を輸出額の多い順に次の中から選んで並べよ。

英国、韓国、ドイツ、米国、フランス、台湾、イタリア、中国、

  • 選挙の事前予想に賛同できなかったらどうする?

棄権する、投票所に行き白紙投票する、投票所で予想とは違う投票をする

                          (了)

 

京都の伝統文化を担うのは誰か?(2018.02.03作成)

2月2日、東京で京都市長がレセプションを開催、縁あって顔を出してみた。

 

京都のお酒やビーフ京野菜等の食材の紹介や舞妓のあいさつや東映剣劇もあって、盛りだくさんの豪華なイベントだった。

 

が、ざっと名刺交換した出席者たちの顔ぶれは、京都のお茶屋文化や西陣の衣料を引き立ててくれそうな方々に見えなかった。

 

まず、各国大使、大使館員たち。箔がつくので各国大使を招待したがる主催者は多い。が、先進国出身の外交官ならただの公務員。お金はない。米国のように政治任用が当たり前の国の大使なら、選挙で大統領候補に多額の資金を提供した、大統領に近い実業家や有力者もいるが、多くの国の外交官は本国に基盤のない公務員。大使ともなれば、次の就職先に頭を悩ます高齢者である。人のお金をあてにすることはあるが、自分の裁量で出せる資金があるわけでもない。自身の外交官生活の終盤、各国大使主催の国祭日レセプションに顔を出すと、政府だけでは立派な食事を提供できないらしく、民間企業の支援を得て面目を保っている例もあった。自国の民間企業の宣伝も兼ねていたのだろう。民主主義国家の政府は、お金がないのが当たりまえ。税金で維持されているのだから。

 

京都市長は、外国の総領事館を京都に設置してほしい、と述べていたが、京都にある国の出身者が多ければ、自国民保護のためにその国の総領事館設置の話も出てくる。まずは、京都に外国企業の誘致をして駐在員を増やすことだ。米国の州知事や議員は、日本企業に限らず外国企業の誘致に熱心で、大型投資案件誘致、それに伴う雇用創出こそ州知事、州議会議員の手柄である。外国の総領事館があれば箔がつく、と思うところが、お公家文化が長らく息づいていた京都らしい、というところか。商人(アマゾンとか)や職人(スマホのアプリはモノづくりだろう)が出てこないとお金は落ちない。

 

美味しい食事が供されるレセプションの常で、タダ飯、タダ酒目当ての招待客も多く、私が話し込んでいたテーブルの斜め向かいには、70歳は明らかに超えていると思しき女性が、黒い帽子をかぶったまま、文字通りひたすら「食いまくっていた」!いくつになっても健啖なのはいいが、みっともない。

 

せっかくだから、と京都牛なるものの試食に長い行列の後尾に並び、やっと自分の番が回ってきたと思ったら、どこからか外務省の8年先輩の元大使が、さっと現れ横入り!これもみっともないことこの上ない。順番を守ってほしい。小学生以下だ。タダ飯を食いなれてきた、特権階級だと勘違いしている元大使をレセプションに招待して、どれだけ京都市の目指す目的が達成されるのだろうか。

 

本物の舞妓さんも素敵だったが、京都の誇るさまざまな伝統文化をこれから支えていくのは誰だろうかと案じてしまう。僧侶は税制で優遇されている。京都大学はじめ、京都にあまたある大学の理系の先生は、企業からの支援があるかもしれない。お金が自由に使えるのは、非上場の創業者社長だろうか。ホリエモンコインチェックの社長さんが京都でお茶屋遊びしているとはとても思えないが。他人事ながら、誰が京都の伝統文化を支えるのだろう。

 

文化庁の京都移転が決まった際、京都市役所には「祝文化庁京都移転」という横断幕が下がったそうだ。1000年以上、時の権力者に寄り添ってきた京都。まさか文化庁が救世主の権力者と思っているはずはないですよね。     (了)

内閣府公文書管理課長による文書改ざん(2018.03.11作成)

2018年3月9日、東日本大震災7年目を翌日に控え、佐川国税庁長官の辞任、朝方には近畿財務局の職員の自殺のニュースが流れた。財務省は来週の国会で、文書書き換えを認める方針を固めたとのこと。

 

役所の公文書も、私人の遺言も都合が悪いと改ざんされるということだ。もっとも一連の問題は、改ざんされる前の文章が正しく事実を反映している、という前提あっての「改ざん」批判だ。公文書そのものが事実を反映していないこともある。内閣府公文書管理課長(!)が、決裁前の会議の記録文書に、自分にとって都合が悪いことが書かれているので、そのくだりを削除せよと食い下がり、そのくだりの発言者が譲歩して削除された文章が府内決裁を了して、公文書と相成った例を知ってる。

 

2011年、まさに東日本大震災の年である。独立行政法人国立公文書館」は、内閣府の公文書管理課長が職務上監督する立場にある。この国立公文書館の非常勤監事である公認会計士が、会議で公文書館経理の問題を指摘した。監事として雇われている存在意義を主張したかったのだろう。が、これが公文書管理課長には気に入らなかった。そのまま議事録に掲載されると自分がきちんと経理面で監督していない、ということになる。もともと小さーい男だったのだろう、監事に拝み倒して、その部分を議事録から削除してもらい、一件落着。この議事録は、一部の議事内容が記載されないまま「公文書」となった。

 

ジャーナリストや研究者は、「公文書」は事実を反映しているという前提に立って取材や研究を進める。その「公文書」が、関係者の都合や好みで実際に起こったことが反映していないこともある、ということなど知るよしもない。

 

この経理に関する問題提起が削除された、あったことをないと記した議事録が、日本や日本国民の将来を左右する事件ではない、と主張する方もいるだろう。が、「あったことをないように記録せよ」と主張したのが内閣府「公文書管理」課長で、議事録は国立「公文書」館のマネジメントにかかる事項である。まるでブラックジョークのような一件であった。その課長(当時)の名前は岡本信一、「公文書管理」「公文書管理法」に関する著作もいくつか出版している。          (了)

 

判断能力の低い配偶者の責任は誰がとる?(2018.03.19作成)

森友学園への国有地売却についての財務省の文書改ざん問題に関し、野党は、安倍昭恵首相夫人を国会に呼んで説明させろ、と主張している。「判断能力の低い」「勘違いの」「権力者の妻」を引きずり出しても意味がない、と主張する人もいる。

 

強い意思をもって夫の権勢を濫用する「恐妻」は数えきれないほど見てきた。正直、安倍昭恵さんのイメージは「恐妻」とは少し違う。脇が甘くて、近寄ってくる者の隠れた意図を見抜けない、と弁護する向きもある。甚だしい勘違いと、ずれた方向性ながら、昭恵さんが「強い意思」を持って行動していることは間違いない。日本女性に対し、もっと気概を持てと講演(説教!)するくらいである。「誰それの妻」「誰それの母」だけで終わりたくない女性はたくさんいる。富豪の娘で、政治家三世の夫は順調に総理にまで上り詰めたが、残念ながら子宝に恵まれなかった昭恵さんは、自分だけの道を歩みたかったのだろう。

 

たいていの恐妻家は無意識のうちにも自分の権勢は夫のそれに依存していることを知っている。今週観たテレビドラマには、不倫夫を恨みながらも、「大臣候補の政治家の妻」から「タダの人の妻」になりたくがないため、狂言殺人事件の被害者まで演じる妻が登場した。

 

やたらと旦那を立てるが、幼稚園児、保育園児の保護者に対しては間違いなく権力を誇示する恐妻である籠池夫人と昭恵さんの電話でのやり取りをみると、わけがわからなくなる。昭恵さんは確かに判断能力が低い。文脈から外れて「祈ります」なる不思議な発言があり、これが2017年の流行語大賞の候補にもならなかったのは、ユーキャンの安倍首相への忖度か?

 

聖心女子大付属の小中高では成績がついて行かず、落ちこぼれ受け皿校らしき聖心女子専門学校とかに転校させられたらしい。まあ、ダイアナ元妃も、あまり学業は立派ではなくスイスの花嫁準備学校のようなフィニッシングスクールに通っていた。同妃も当初はオツム弱い系のイメージだったが、嫁ぎ先の王室と、性格も外観も気色悪い夫に鍛えられ、人のこころを捉える感性を磨いていき、People’s Princessと呼ばれるようになった。

 

昭恵さんはそういうセンスも中途半端だ。「家庭内野党」として、旦那やネトウヨが嫌っている韓国にも抵抗がなさそうな人かと思いきや、籠池理事長が塚本幼稚園の園児に、中国、韓国の悪口を言わせているのに、同じ園児に「安倍首相を一生懸命支えている人」などと持ち上げられると、涙を流す。茶坊主的な取り巻きには、極めて御しやすい、利用しやすい「権力者の配偶者」なのだろう。

 

アラブの春」の幕を切っておとした、チュニジアのベン=アリ大統領夫妻の問題を、フィナンシャルタイムズで指摘したことがある。

私の主張は、配偶者が公職についていない場合は、権力者たる者(大統領、首相、会社社長、野球球団の監督―野村克也さんー等々)、その配偶者の行動についても国民や株主、社員、球団選手やファンに対してaccountableである。なぜなら責任をとれるのは、公職にある権力者のみであるからである。大統領、首相は閣僚、官僚の任命責任を問われる。配偶者の選択責任を問われないのは、世界の権力者に恐妻家が多いからだ男性は皆、明日は我が身かと案じているから、怖くてこの妻を選んだ責任まで負いたくないのだ。政治学者も、これを理論として打ち出したくない。彼らも恐妻家だから。

 

配偶者の選択は完全に私的領域だろうか?First Ladyに一定の役割を求め、与えるのなら、何十年も前の選択であろうと、自らの意思でこの妻を選んだ責任は負ってもらわないと困る。二回りも、三回りも若い三度目の妻を最近選んだのなら、直近の選択だ。

 

「疑わしきは罰せず」の法治国家原則にもかかわらず、ましてや「判決はまだ下されていない」のに、安倍さんが(そのちょうちん持ちの「時事通信社特別解説委員」田崎史郎氏も)、「詐欺師」と断罪する籠池被告に持ちあげられて「教育方針に感銘し」「瑞穂の國記念小學院名誉校長」に嬉々として就任したおバカ配偶者の責任をとるのは、夫である安倍さんしかいない。

 

判断能力が低い者には後見人制度がある。昭恵さんの後見人は安倍首相その人である。

                            (了)

官僚がすごいエリートだと騒ぐ国(2018.03.作成)

彼岸の日なのに、東京は雪。昼のバラエティ番組では財務省の官僚がいかにエリートか、公文書改ざんの責任者だとされている佐川前理財局長のエリート街道まっしぐら人生をえんえんと伝えている。

 

1987年4月に名古屋国税局高山税務署長になったそうだ。バブルの真っ最中。佐川さんとほぼ同じ年次のある財務官僚は、税務署長になると各方面からご祝儀が提供され、500万円にもなった、とうそぶいていた。その話を聞いたのは1990年ごろで、自分の税金についての知識は乏しかった。今なら「(ご祝儀を頂いて)贈与税はお支払になりましたか?」と聞いていみたいところだ。

 

佐川さんがいかにエリートか、と嬉々として語るのは、東大法学部首席卒業、財務省入省、退職後弁護士になり、勉強の仕方についてのハウツー本で有名になった女性元財務官僚である。多くの人にとって財務省は遠い存在だから、彼女の話は新鮮なのだろう。「北朝鮮ってこんなところなんだよ」と何も知らない人に語るようなものだ。

 

外務省が財務省経済産業省と並びエリート官庁とは知らなかったが、自分の18歳、22歳の時の経験を踏まえると、受験勉強を開始し、成績が上がってきた高校生は、より偏差値が高い大学、学部を受験したくなるものだ。親兄弟が医師なら医学部進学、官僚ばかりだと国家公務員コースの法学部が自然な選択だろうが、多くの受験エリートにとってみれば、18歳で「これがやりたいから」と明確に自分の進路を見つけられるものでもない。高校の進路指導も「合格できる大学、学部」に受験生をいざなうことが中心だ。

 

難関大学の難関学部に入学してからの進路は、もう少し意思が明確になる。司法試験合格などそれほど苦痛ではないから法曹の道に進んだ、という人もいる。人権や環境問題に取り組みたいと何度も司法試験に挑戦し、30歳近くになった人には想像もつかないだろうが、成績がいいから、成績がいい学生を求めているところを就職先を選ぶという若者もたくさんいる。東大法学部から財務省に進んだ学生が、「日本の財政再建を実現したいから」「日本人が貯蓄より投資に向かうよう制度を整えたいから」という動機だったとは、およそ信じられない。足の速い子、身体能力の優れた子がアスリートを目指すのと同じ。スポーツエリートにとってのオリンピック金メダルのように、受験エリート国家公務員試験で好成績を納め、財務省はじめ、許認可権限の強い役所を目指すことになる。スポーツで成功する方が、はるかにハードルは高いが。

 

動機よりまず能力が伴わないとだめなのだが、目指したエリート官僚人生の到達点が、公文書改ざんなら悲劇だ。先日、大田現理財局長が、和田政宗自民党議員(NHKアナウンサー出身)の「(局長は)民主党野田総理の秘書官をやっていたので、安倍政権に不利な発言をするのだろう」という趣旨の発言に、声を震わせ反論したのには同情する。が、超エリートの目的が誰かに「お仕えする」人生とはいかにも残念だ。宿探しで、民間宿泊施設とともに国家公務員共済組合の宿(KKR)を探していたら、宿のトップの「国家公務員共済組合連合会理事長」は、財務省出身で内閣府事務次官をやっていた人だった。これもまたエリート人生の最終到達点だとしたら、日本のエリートとはなんと小さいのだろう。

 

日本国のために、世界のために何の富も生み出していないこれだけ日本の国家財政を赤字にした挙句、消費税率の引き上げに心血を注ぎ、おそらく税務署長就任の際に受け取ったご祝儀にかかる贈与税もを納税していなかった人たちがエリートなはずがない。

 

アマゾンのジェフ・ベゾス、テスラのイーロン・マスク、亡くなったアップルのスティーブ・ジョブズ。世界には綺羅星のような天才がいる。日本にもユニクロの柳井さんや、楽天の三木谷さん、AbemaTVの藤田さんもいる。日本の受験エリートが、富を生み出す人たちよりも、ゲームのルールを変えるほど革新的な仕事をした人よりも、創業者社長よりも、企業の活動を規制したり、税金を課したり、あるいは退官後○○商事、△△物産の顧問や社外取締役になることを夢見る官僚に憧れるのなら、日本の経済力はどんどん弱くなるのだろう。     (了)

ニセコは日本か?白馬と比較してみよう(2018.04.24作成)

北海道虻田郡倶知安町が地価上昇率日本1と言われて久しい。

 

冬の外国人スキー客を対象としたホテル、コンドミニアムの建設需要が地価を押し上げている。日本の都心3区のレベルと言うより、世界水準の不動産高騰現象なのだ。

 

日本の地価はバブル崩壊以降概して下落傾向、リーマンショック前や現在の金融緩和の下で局地的に高騰はあるものの、外国の比ではない。中国人が殺到するバンクーバーシドニー、IT企業の高所得者が集まるサンフランシスコやシアトルの不動産価格高騰に比べれば、都心3区も赤子のようなものだが、その外国の不動産価格の影響を受けているのがニセコ、世界水準の地価高騰という訳だ。

 

ニセコのスキー客は豪州人を中心にシンガポール在住の多国籍の富裕層、宿泊施設だけではなく、スキーリフト会社もシンガポール資本による開発で、おしゃれなカフェやラウンジが併設されたリフト券売り場、スキーレンタルショップとなっていて、日本の多くのスキー場のようにリフトチケット売り場周辺に、スキースクールやレンタルショップの安普請の掘っ立て小屋並ぶ雰囲気とは程遠い。

 

確かに日本人は少数派で、正直居心地は悪い。なんで日本なのに英語で注文をしなければならないのだ。外国人経営のスキースクールには、英語を話す外国人インストラクターを通じて子どもにスキー上達と英語に慣れさせようという思いの日本人の親もいるかもしれないが、極少数派、ニセコは日本国内の租界なのだ。

 

日本人が日本の旅行代理店を通じて日系航空会社でハワイに飛び、日系ホテルやコンドミニアムに滞在して、日系のスポーツインストラクターにサーフィンやダイビングを教えてもらうのと同じだ。ハワイの現地の方には、居心地が悪いかも知れない。

 

外交官をやめて「外貨を稼ごう、もう税金で食っているんだろうと言われたくない」との強い思いで、長野県白馬村と京都で宿泊施設を運営してきた。ミクロの世界では多少の実績は積んできたが、マクロの観点から観光立国を標榜するには、外貨が日本に落ちる制度を整える必要がある。 

  • 公的部門(国や地方自治体)がやるべきこと

まずは徴税をしっかり行うこと。外国人所有のホテル、コンドミニアムの固定資産税徴収はもちろん、スキーインストラクターやホテルやレストランで季節労働する外国人の所得を捕捉し、法人税、消費税の徴収もきっちりやることが期待されている。日本人相手にも手こずっている日本の徴税当局、特に田舎の町役場、村役場の租税課には荷が重そうだ。が、しっかりしてもらわないと困る。 

  • 民間部門がやるべきこと

日本人が外国人の需要にあった宿泊施設、飲食施設、スキースクール、スキーレンタルショップ、空港とのシャトルバス、ハイヤーサービス、スポーツマッサージ等を提供できること。

 

ともに豪州人スキーヤーに人気の北海道のニセコと長野県白馬村を比較すると面白い。白馬村でも、局地的に日本人が居心地悪いと感じる場所もあるが、何とか地元にお金が落ちる形になっていると思う。以下、外務省退官後の2013年の冬以来、白馬で多くの豪州人をはじめとする外国人スキー客を迎えてきた体験を元に、白馬とニセコを比較してみる。

 

2011年3月中旬、3.11の東日本大震災の直後ニセコに滞在した。日本の旅行会社企画の羽田からの航空券、空港からホテルまでのバス、宿泊代込のパッケージを予約していたのだ。旅行会社は当時の状況からキャンセル料なしで解約できる、とわざわざ電話をかけてきてくれた。が、有給休暇の申請も済ませており、何よりも当時から外国人スキーヤーに大人気と話題になっていたニセコとはどんなところか見てみたかったので出発した。

 

パッケージのヒルトン・ホテルもスキー場もガラガラだ。福島第一原発事故の影響で日本から外国人が一斉にいなくなった時期でもあるのだが、後の白馬村での経験から、豪州人のスキー客は基本的に年末から2月までの2か月余に集中し、3月に入ると彼らの夏休みも終わり、スキー場も空き始めることを知った。原発事故の影響ではなかった。

 

ちなみに、日本の観光立国政策に辛辣な意見を繰り返している英国人デビット・アトキンソン氏は、箱根の高級温泉旅館でチェックイン時間より少し早めに到着したが、入室させてくれなかった、とあちこちで書いているが、ニセコの閑古鳥が鳴いているヒルトン・ホテルでは、午後2時過ぎにバスで到着した私に、「チェックインは3時からです」と入室させてくれなかった。このフロントの若い女性が意地悪なのか、パッケージ客には一切サービスしないというニセコヒルトンの方針なのか不明だが、アトキンソン氏にも知って欲しい。まあ、彼はヒルトン・ホテルでも日本にあるからサービスが硬直的なのだ、と言うのだろうが。

 

ニセコに午後2時過ぎに着くには、千歳空港からのバスの乗車時間が3時間、飛行時間が約2時間、スキーの荷物を預けたり、取り出したりする時間が1時間余りとすると羽田空港到着が午前8時、ならば都内の自宅を午前7時に出なければならない。「ニセコは遠い」と感じたのが、その後同じくパウダースノーで有名な白馬村と比較し、物件購入をニセコではなく白馬にした決定的な要因になった。

 

本州にある長野なら施設を運営する自分は飛行機に乗る必要はなく、長野(当時)新幹線も特急あずさも、新宿からの特急バスも利用可能だ。自家用車があれば、自分で運転していける。これは運営者側の利便性だが、外国からの客にすれば、スキーだけが目的なら、千歳空港に着いて、陸路3時間ゆられてニセコに行くだけだ。富裕層なら空港からハイヤードアツードア、3時間もかかるまい。白馬の場合、数年前から成田空港からのシャトルバスが運行しはじめたが、5-6時間かかる。インバウンドスキー客にとっての利便性はニセコに軍配が上がる。しかもニセコなら11月頃から雪が降るので正月開けに学校が再開され、12月にスキー休暇をとるシンガポール人には、ニセコの方が降雪が確実だ。2015、16年の12月は白馬では雪が少なく、シンガポールからのリピーター客を迎えていた自分は気が気ではなかった。

 

ニセコと白馬を比較すると、雪の質、スキーシーズンの長短、羊蹄山という富士山のように美しい形の山の有無という違いがあり、これらの点ではニセコに軍配が上がる。ニセコでは物件高すぎて手の出ないボンビーオージーが白馬に流れてきたのだ、と自嘲的にいう向きもあるが、白馬には別の魅力がある

 

国内では首都圏からと関西圏からの双方のスキー客を迎えてきた歴史がある。私のスキー客も、白馬滞在の前後に京都で過ごす人も多い。名古屋経由か糸魚川―金沢経由である。もちろん、千葉県の東京国際空港に降り立ち、同じく千葉県の東京ディズニーランドで過ごしてから白馬に来る人もいる。チャーター便で千歳に来るニセコのスキー客ではほぼありえない滞在の仕方だ。

 

村のあちこちに石の道祖神があり、ヨーロッパの田舎町の街角に小さなキリスト像があることを思い出す。信州の歴史は奥深い。

 

団塊の世代は、昭和52年(1977年)の「狩人」のヒット曲「あずさ二号」に青春のほろ苦い思い出を重ねる。新宿発「特急あずさ」は、安曇野信濃路というロマンティックな響きを持つ地方と東京を結ぶ鉄道の象徴だ。脱サラで白馬でペンション経営に乗り出した団塊の世代が自身の高齢化と国内スキー人口の減少で、ペンションを手放したくなったタイミングに、オージーを中心とする外国人の買い手が現れたのだ。

 

このままだと大きな空き家がどんどん増えそうなところに、中古住宅を偏見視せず、改修して生まれ変わらせようという外国人オーナーが現れたのだ。後述の通り、企業の福利厚生施設も株主対策で売却され、オージーが買い取っている。白馬村にとっては、オージー様様だ。ニセコと違って中古物件供給が結構あったので、国際水準の地価高騰が白馬に及ばないのだ。それでもオージー資本が一旦買取り、豪華に改修した元ペンションは億単位の値で売り出されているものもある。

 

白馬村には外国人スキー関連事業経営者が日本人女性と結婚している例が多い。オージーの大工さんは奥さんの実家が建設業とかで、建築基準法も日本語で説明できる人だ。こういう人には、日本が第二の故郷なのだろう。

 

外国人客による酔っ払いや、交通事故、料金踏み倒し等の問題もあるかもしれないが、日本人のすべてが品行方正ではない。確かに自身の外国人宿泊客のゴミの分別がひどい時は、ため息が出る。が、隣のペンションから私の施設の前を通ってゲレンデに向かった日本人スキー客は、コンビニのおにぎりのセロファンを①②③の順に剥いて地面に落としていき、ブリート―の包み紙とたばこの吸い殻もポイ捨てだったことを思い出すようにしている。マナーの良い人もいればそうでない人もいる。日本人、外国人の違いではない。

 

白馬村の温泉では、ファッション入れ墨客は容認するようになってきた。オージー経営のレストランもあるのだろうが、彼らに大人気の寿司屋やそば屋は、日本人経営だ。残念なのは、同じく日本人シェフでオージーに大人気のイタリアンは、スタッフも味も値段も完全にオージー仕様。要するにまずくて高いのだ。

 

長野県には中央タクシーというユニークな会社がある。成田や羽田からスキー場の宿泊施設まで(あるいはその逆)乗り合いタクシーサービスを提供している。小林製薬ではないが、「あったらいいな」と思えるサービスで、私も自分のお客さんのためにアレンジすることがある。ありがたい。

 

白馬には羊蹄山(標高1898メートル)のような美しい形の山はないが、3000メートル級の白銀の山が連なる姿は圧巻である。それに何といっても温泉猿がいる。地獄谷温泉まで白馬村からはほとんど1日仕事だが、1週間以上滞在する外国人のファミリー客は、たいてい足を伸ばす。外国人経営の旅行代理店が英語のパンフレットを作って集客している。

 

概して、白馬村では年末から2月末までは外国人スキー客が大半、3月になると春休みの大学生が春スキーにやってくる。ペンション買取、宿泊施設経営程度の少額投資の外国人の場合、奥さんが日本人で白馬に根を下ろした人が多い。が、スキーシーズンともなると多数の外国人スタッフが殺到する。

 

英語のスキースクールは1日午前と午後の計4時間程度のグループレッスンで生徒一人12000円ほどの料金。日本のスキースクールなら5-6000円ほどである。確かにフリースタイルスキーのレッスンは、日本人経営のスキースクールにはあまりなく、バックカントリースキーなど違法で危険なレッスンで、外国人経営のスキースクール独自のものだが、高額レッスン料は別に外国人インストラクターの能力が高いというわけではない。彼らを日本に呼び寄せる往復の航空運賃と滞在費が上乗せされているだけの話だ。高いレッスン料にしないと経費が賄えないのだろう。白馬の日本人のスキー教室では、英語のレッスンはニュージーランド人経営の学校、中国語は台湾人経営の学校に行ってくれ、と棲み分けており、自ら外国語でのレッスンを提供して倍以上のレッスン料を得ようというガッツはなさそうだ。ゲレンデのオーナー会社にすれば、スキー教室の経営者が何人であれ、生徒がたくさん集まりリフト券を買ってくれれば御の字である。

 

高額投資案件となると、ニセコと同じ状況がみられる。自身の物件購入前に、オージー資本が日本の生命保険会社の保養施設を買い取って改装したホテルに泊まってみた。ピークシーズンを過ぎた3月中旬の低料金であったが、迎えの英国人女性は白馬の地理に疎い。冬の3か月、白馬駅とホテルの往復しかやっていないのだろう。クレジットカードでのホテル料金の支払いがシンガポール経由での請求になっていた。富裕層相手のホテルで、高額にもかかわらず満室続きだそうだが、このホテルのような経営者も客も外国人という例が、ニセコでは大半なのだろう。日本の税務当局が所得を捕捉できているのか。これは、白馬村の仕事ではない。最強官庁(?)と呼ばれていた財務省が歳入と歳出をやっているのである。理財局長から国税庁長官へ栄転して、公文書改ざんなどやっている閑があったら、政治家とともに観光立国日本に外貨が落ちる制度設計に知恵を絞るべきなのである。                   (了)