パブリック・ディプロマシー日本外交に望むこと

34年間の外交官生活を振り返って

内閣府公文書管理課長による文書改ざん(2018.03.11作成)

2018年3月9日、東日本大震災7年目を翌日に控え、佐川国税庁長官の辞任、朝方には近畿財務局の職員の自殺のニュースが流れた。財務省は来週の国会で、文書書き換えを認める方針を固めたとのこと。

 

役所の公文書も、私人の遺言も都合が悪いと改ざんされるということだ。もっとも一連の問題は、改ざんされる前の文章が正しく事実を反映している、という前提あっての「改ざん」批判だ。公文書そのものが事実を反映していないこともある。内閣府公文書管理課長(!)が、決裁前の会議の記録文書に、自分にとって都合が悪いことが書かれているので、そのくだりを削除せよと食い下がり、そのくだりの発言者が譲歩して削除された文章が府内決裁を了して、公文書と相成った例を知ってる。

 

2011年、まさに東日本大震災の年である。独立行政法人国立公文書館」は、内閣府の公文書管理課長が職務上監督する立場にある。この国立公文書館の非常勤監事である公認会計士が、会議で公文書館経理の問題を指摘した。監事として雇われている存在意義を主張したかったのだろう。が、これが公文書管理課長には気に入らなかった。そのまま議事録に掲載されると自分がきちんと経理面で監督していない、ということになる。もともと小さーい男だったのだろう、監事に拝み倒して、その部分を議事録から削除してもらい、一件落着。この議事録は、一部の議事内容が記載されないまま「公文書」となった。

 

ジャーナリストや研究者は、「公文書」は事実を反映しているという前提に立って取材や研究を進める。その「公文書」が、関係者の都合や好みで実際に起こったことが反映していないこともある、ということなど知るよしもない。

 

この経理に関する問題提起が削除された、あったことをないと記した議事録が、日本や日本国民の将来を左右する事件ではない、と主張する方もいるだろう。が、「あったことをないように記録せよ」と主張したのが内閣府「公文書管理」課長で、議事録は国立「公文書」館のマネジメントにかかる事項である。まるでブラックジョークのような一件であった。その課長(当時)の名前は岡本信一、「公文書管理」「公文書管理法」に関する著作もいくつか出版している。          (了)