パブリック・ディプロマシー日本外交に望むこと

34年間の外交官生活を振り返って

判断能力の低い配偶者の責任は誰がとる?(2018.03.19作成)

森友学園への国有地売却についての財務省の文書改ざん問題に関し、野党は、安倍昭恵首相夫人を国会に呼んで説明させろ、と主張している。「判断能力の低い」「勘違いの」「権力者の妻」を引きずり出しても意味がない、と主張する人もいる。

 

強い意思をもって夫の権勢を濫用する「恐妻」は数えきれないほど見てきた。正直、安倍昭恵さんのイメージは「恐妻」とは少し違う。脇が甘くて、近寄ってくる者の隠れた意図を見抜けない、と弁護する向きもある。甚だしい勘違いと、ずれた方向性ながら、昭恵さんが「強い意思」を持って行動していることは間違いない。日本女性に対し、もっと気概を持てと講演(説教!)するくらいである。「誰それの妻」「誰それの母」だけで終わりたくない女性はたくさんいる。富豪の娘で、政治家三世の夫は順調に総理にまで上り詰めたが、残念ながら子宝に恵まれなかった昭恵さんは、自分だけの道を歩みたかったのだろう。

 

たいていの恐妻家は無意識のうちにも自分の権勢は夫のそれに依存していることを知っている。今週観たテレビドラマには、不倫夫を恨みながらも、「大臣候補の政治家の妻」から「タダの人の妻」になりたくがないため、狂言殺人事件の被害者まで演じる妻が登場した。

 

やたらと旦那を立てるが、幼稚園児、保育園児の保護者に対しては間違いなく権力を誇示する恐妻である籠池夫人と昭恵さんの電話でのやり取りをみると、わけがわからなくなる。昭恵さんは確かに判断能力が低い。文脈から外れて「祈ります」なる不思議な発言があり、これが2017年の流行語大賞の候補にもならなかったのは、ユーキャンの安倍首相への忖度か?

 

聖心女子大付属の小中高では成績がついて行かず、落ちこぼれ受け皿校らしき聖心女子専門学校とかに転校させられたらしい。まあ、ダイアナ元妃も、あまり学業は立派ではなくスイスの花嫁準備学校のようなフィニッシングスクールに通っていた。同妃も当初はオツム弱い系のイメージだったが、嫁ぎ先の王室と、性格も外観も気色悪い夫に鍛えられ、人のこころを捉える感性を磨いていき、People’s Princessと呼ばれるようになった。

 

昭恵さんはそういうセンスも中途半端だ。「家庭内野党」として、旦那やネトウヨが嫌っている韓国にも抵抗がなさそうな人かと思いきや、籠池理事長が塚本幼稚園の園児に、中国、韓国の悪口を言わせているのに、同じ園児に「安倍首相を一生懸命支えている人」などと持ち上げられると、涙を流す。茶坊主的な取り巻きには、極めて御しやすい、利用しやすい「権力者の配偶者」なのだろう。

 

アラブの春」の幕を切っておとした、チュニジアのベン=アリ大統領夫妻の問題を、フィナンシャルタイムズで指摘したことがある。

私の主張は、配偶者が公職についていない場合は、権力者たる者(大統領、首相、会社社長、野球球団の監督―野村克也さんー等々)、その配偶者の行動についても国民や株主、社員、球団選手やファンに対してaccountableである。なぜなら責任をとれるのは、公職にある権力者のみであるからである。大統領、首相は閣僚、官僚の任命責任を問われる。配偶者の選択責任を問われないのは、世界の権力者に恐妻家が多いからだ男性は皆、明日は我が身かと案じているから、怖くてこの妻を選んだ責任まで負いたくないのだ。政治学者も、これを理論として打ち出したくない。彼らも恐妻家だから。

 

配偶者の選択は完全に私的領域だろうか?First Ladyに一定の役割を求め、与えるのなら、何十年も前の選択であろうと、自らの意思でこの妻を選んだ責任は負ってもらわないと困る。二回りも、三回りも若い三度目の妻を最近選んだのなら、直近の選択だ。

 

「疑わしきは罰せず」の法治国家原則にもかかわらず、ましてや「判決はまだ下されていない」のに、安倍さんが(そのちょうちん持ちの「時事通信社特別解説委員」田崎史郎氏も)、「詐欺師」と断罪する籠池被告に持ちあげられて「教育方針に感銘し」「瑞穂の國記念小學院名誉校長」に嬉々として就任したおバカ配偶者の責任をとるのは、夫である安倍さんしかいない。

 

判断能力が低い者には後見人制度がある。昭恵さんの後見人は安倍首相その人である。

                            (了)