パブリック・ディプロマシー日本外交に望むこと

34年間の外交官生活を振り返って

東京五輪終わる:IOCバッハ会長の言動をみれば、なぜ英国人がEU離脱を選んだのかがわかる

開催国の主権者など、全く視界にないIOC

国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長の言動が、物議をかもしてきた。

7月に大勢引き連れて広島に乗り込み、五輪終了後は不要不急の「銀ブラ」のおまけつき。最初から最後まではた迷惑な人だった。

 

日本人選手のメダルラッシュには喜んでも、菅総理、小池東京都知事、橋本五輪組織委員会会長、丸川五輪大臣も五輪開催ありきで進み、IOCに言われるがまま、のように見えたことに納得できない国民も多かった。

 

オリンピックは経済波及効果が期待できるはずなのに、大枚をはたいて建設した競技場は無観客となり、主催者である日本側にはチケット収入もない。

 

選手の滞在費や交通費、食費等の経費は送り出す国の負担だろう。

これに対しIOC関係者の滞在費や交通費は誰が負担したのだろうか?5つ星ホテルを提供することになっていると報道されていたので、負担は主催者側なのだろう。家族も連れてくる。「五輪貴族」と言われるゆえんだ。

そういえば、バッハ会長は米国紙に「ぼったくり男爵」と呼ばれていた。

 

コロナが勃発する前も、マラソン協議を東京の8月に実施するのは選手に酷だ、札幌に場所を移動せよ、とIOCのコーツ理事とかが、決めた。小池都知事もあずかり知らぬ間に、ということで怒っていた。

 

8月の日本は札幌でも暑い。だから、8月ではなく前回の東京大会同様10月に、と多くの心ある人は思ったが、IOCはどこ吹く風。

識者の説明では、莫大な放映権料をIOCに支払う米国のテレビは、米国人に人気のスポーツ競技が開催されない閑散期である8月だから、放映権料を払う、のだそうだ。

ここらあたり、段々日本人も「なんで自分の国で開催するのに、時期も場所も日本側に決定権がないのか」と疑問を持ち始めた。

 

そしてコロナ。開催するか、延期するか、延期するとしていつまで、結局1年延期で開催等々の重大な意思決定も日本側の意向がどの程度まで反映されたのか不明だ。

この時点では、森前組織員会会長の時代だ。どの程度交渉されたのかはわからない。

相手(IOC)を説得するのと、自国民を説得するのといずれが容易か、は大きな判断基準だったのだろう。

 

森さんの総理を辞任する原因は、(無党派層は投票に行かず)「寝ていてくれればいい」という発言。

五輪組織員会会長辞任の原因は、「女性が会議に参加すると話が長くなる」(スムーズに会議が進行するのは、女性がいても)「皆さん、わきまえておられますから」という発言。

手ごわい海外の相手より国内のうるさいことを言わずに「わきまえた」、「寝ていてくれる」層を味方につけ、反対派を押さえつければいいという発想の人だと想像できる。

 

「国際」という枕詞に幻惑される日本人

この機会に日本人も「国際」「世界」とつくと公明正大で、高潔で、世界平和を常に考えている組織、という幻想を捨ててはどうか?

ヤフーニュースも五輪期間中、世界が日本人のおもてなしに感激した、などという提灯記事に溢れていた。

 

世界保健機構WHOのテドロス事務局長の言うことを信じる人は少ないはずだ。

IOCのバッハ会長も同類である。

二人とも自身の権勢拡大と保身のためには誰の言うことを聞けばいいか、を考えて動く人たちなのだ。バッハは米テレビ局、テドロスは中国。いずれも日本など眼中にない。

日本の松浦晃一郎UNESCO元事務局長や緒方貞子元国連難民高等弁務官UNHCRが、立派な人たちだったので、外国の国際機関のトップも同じように理想を胸に行動する人と思いがちであるが、日本人にも色々な人がいるように、外国人も色々。

 

なかでもIOCはひど

歴代会長はヨーロッパ人が大半。スキャンダルまみれで、ヨーロッパ貴族の堕落を体現した人が多い。会長以外の理事たちもスポーツ貴族で、開催地を決める投票では巨額の賄賂が受け渡しされると言う噂が絶えない。今回の東京も贈賄の噂があった。

 

国連に代表される国家間の組織では、一応体裁は民主国家が大半だ。実際には中華人民共和国朝鮮民主主義人民共和国のほか、独裁政権も多い。

スポーツ界のエリート国際組織では、ガバナンスやコンプライアンスを云々するより記録が大事。フェアプレイという理想はあるのだけれど。
特定のスポーツで世界一は文句なしの実績であり、余程自戒しない限りハナタカさんになってしまう。そして主権国家より自分の方が偉いと思ってしまう。主権国家の主権者は国民、有権者である。超スポーツエリート集団IOCに各国の主権者、国民など目にないのだ。

 

英国は欧州「国際」貴族に鼻づらを引きずりまわされるのが嫌だっ

英国民は、ブラッセル(小国ベルギーの首都)に本部を置くEU欧州委員会)「貴族」にあれこれ指示されるのはもう嫌、冷戦終結後新たに加盟国になったポーランドあたりから移民労働者が来て、英国人の仕事を奪う、等々の理由で2016年6月にEU離脱を決めた。その後数年間、離脱の手続きをめぐってすったもんだがあったが、宙ぶらりんの状況も昨年2020年1月にようやく収束し、もはや加盟国ではなくなった。

 

私がブラッセルで勤務していた1980年代、英国からサッチャー首相がEC(当時はEuropean Community)首脳会合に出席する度、文句たらたらを言っていた。

  • 英国は多額の拠出をしているのに、英国にメリットのない他のEC加盟国の農業補助に予算が使われる
  • 国民から選挙による信託を受けていないEC官僚があれこれ規則を作り、加盟国に指示する

 

英国民を日本国民、EC をIOCに置き換えれば、ここ数年の五輪をめぐる日本国民の不満にぴたりとはまる。

 

腹立たしいけれど、お金や権限を一旦預けてしまえばアウト!それでもコロナが勃発せず、普通に五輪が開催されていれば、それなりに経済効果はあったのだろう。

 

76年前の8月15日、日本人は自分で考え、判断する必要性を痛感したはず

コロナの新たな変異種ラムダ株が日本に持ち込まれたのは7月20日、五輪開催の直前で、持ち込んだのは五輪関係者だと言う。ラムダ株の公表は8月6日、五輪関係者によることの公表は8月13日だった。意図的な隠ぺいと言われても仕方がない。

 

デルタ株が猛威をふるう中のお盆休み。政府も東京都も医師会も国民に自粛を求めるが、IOCと対等に交渉できず、五輪を強行した人たちの言うことに何の重みもない。

 

私は自粛している。それは政府が言うからではなく、感染すれば苦しいのは自分だから。幸いにして毎日出勤する必要もない。現役世代も感染すれば後遺症が残るようだが、その恐怖より出勤する必要がある人は気の毒だ。

 

デパ地下の客寄せの大声は、出勤せざるを得ない人たちでも控えることは即可能だ。客の側も買い物は手短に黙って済ます。ひとりひとりが賢い国民にならねば。

 

IOC、WHO、日本国政府、医師会と戦うには、それしかない。

 

政府の言うことをに唯々諾々と従ってはいけないことを、76年前の8月15日に日本人は思い知ったはずだ。

                             (以上)

国家公務員倫理法と私――「文春砲」、鈴木・佐藤の外務省私物化=菅総理の総務省「天領化」

国家公務員倫理法の運用にはグレーゾーンが一杯

総務省幹部らに対する高額接待が話題になっている。大蔵省銀行局を中心とした「ノーパンしゃぶしゃぶ」不祥事で国家公務員倫理法が施行されたのは2000年。

 

当時私は乳飲み子を抱えて国立大学で教鞭をとっていた。国立大学の教官は「みなし公務員」とされていた。その後大学は「国立大学法人」へと法人化し、教員は「非公務員」となった。大学の教官の地位は過渡期にあった。

 

外務省はじめ国家公務員倫理法(以下「倫理法」)が明確に適用される「国家公務員」所属する省庁で仕事をしていれば、省員一人ひとりに影響する新たな法律が施行されることになるので、組織的に周知徹底する機会が設けられ、意識の低い省員でもそれなりに個々の条文を知ることになったはずだ。今回の総務省幹部の接待会食は、100%倫理法違反で言い逃れの余地はないが、2000年当時、施行されたばかりの法律の運用は五里霧中の面があった。

 

大学の教官だった私は「そうした」(菅総理が頻繁に使う言葉)情報を周知させられることもなく、必要なら自分で情報を得よ、ということだった。大学での講義の傍ら、かねてから強い思いを抱いていた「日本の住宅」について本(「女ひとり家四軒持つ中毒記」)を執筆し出版した。印税は確定申告し、納税した。

 

本の出版については、国家公務員倫理審査会事務局が作成した規程の適用事例集によると、次のようになっている。

「利害関係のない事業者から」「(社会通念上妥当な)原稿執筆に係る報酬を受け取って差し支えない。」 「執筆内容が、職員の現在の職務に関係するものである」(場合は)、「贈与等報告書の提出が必要である。」

 

後述する鈴木宗男佐藤優コンビが、この本の印税受領に関し「贈与等報告書として提出していない」ことをやり玉に挙げたのである。「執筆内容が、職員の現在の職務に関係するものでない」から、報告書の提出は必要ないはずである。

 

実は、この本が出版され、一部で話題になり始めた頃、私は当時の人事課長に非公式ながら報告をしているのである。いや、課長の方から「清井さんの本を読みたいと思って霞が関虎ノ門の本屋を回ったが置いていなかった」というメールが来た方が先だ。倫理法を運用する最前線にいる人事課長は「印税を受け取ったのなら、贈与等報告書を人事課に提出するように」と私に指示、助言できたはずだが、しなかった。この件について書くと長くなるので、後日別のエントリーで詳述することとする。

 

努力や工夫は認めず、ひたすら税金で給料をもらっているくせに、と糾弾したい人々

私の住宅購入の資金は税金を原資とした公務員給与だけではない。アジア開発銀行も国際機関だが、活動資金の大半を加盟国からの税金を原資とする拠出金に頼る難民高等弁務官のような国連専門機関ではなく、実際に金融業務を行い、事業収入を得る組織であった。こういう民間企業の要素もある組織、実際民間企業出身者も多く働いていた組織に勤務した経験は、公務員給与だけ頼る外務省生活では得られないものであり、住宅購入に当たっては失敗への反省も含めて多いに参考になった。また、退官後の自分の事業計画を練り、実行する上で大きな収穫であった。現在の経済同友会代表幹事の桜田謙吾氏も、同時期アジア開発銀行に在籍していた。

 

金融機関とは言え加盟国間で作り上げた組織だから「大甘」だろう、と言われそうだが、当時の日本の民間金融機関や大蔵省の息がかかった住宅専門公社(住専)の体たらくは「大甘」どころではない。不良債権処理に手間取り、倒産、廃業に至ったか、多額の公的資金(税金)に頼り、組織の再編成を余儀なくされ銀行の名前まで変わってしまったのだ。みずほも三菱東京UFJも三井住友も。

 

横領のような違法行為など全くもって犯していない。機密費を業務上横領した要人外国訪問支援室長とは違う。公務員給与は行政サービスに対する対価、投下労働に対する報酬である。給与から所得税、住民税も源泉徴収されている。だが、公務員というだけで断罪される。「公僕だろ」「税金で食わせてやっている」と言う人に限って、所得が低く、大して税金を納めていないことが多い。国家公務員の給与は国会で予算として審議の対象になり、明細は官報に記載される公開情報である。給料や手当を工夫して住宅購入に充てた。それがけしからん、という。

 

自分で出版社を見つけ、印税は(税金からではなく)マーケットから得た

私の場合は、外務省の仕事とは全く関係のない住宅問題について、マガジンハウスという役所とは何の関係もない、利害関係など全くない出版社からの出版であった。

残念ながらタイミング悪く、

(1)いわゆる機密費を私的流用し、服役した要人外国訪問支援室長の事件があり、

(2)外務省のロシア政策、政府開発援助に関することは、すべて自分が仕切る勢いだった鈴木宗男氏とその子飼いの佐藤優氏が、外務省から手のひらを返され、二人とも犯罪人として収監された

時期であった。

 

鈴木宗男佐藤優の言動には虚偽がある

「飼い犬に手を噛まれた」と思ったのか、逆ギレした二人は、外務省を骨の髄まで憎んでいた。自分たちが外務省予算や政策を骨の髄まで食い尽くそうとしたことを都合よく棚上げし、外務省、外務省員にかかわる少しでも難癖をつけられる話は不祥事にしようと、国会で質問主意書を連発したのである。私の本は、彼らにとり恰好の攻撃対象となった。

 

鈴木、佐藤ともに、私がまるで違法行為をしたかのように書いたり、しゃべったりし、大使館勤務をしている際の手当や接待・交際費を不正流用したかのように印象操作した。なお、私はアジア開発銀行という国際機関には勤務したが、本を出版するまでに経験した大使館勤務はベルギー大使館の3年間のみであった。佐藤氏はこうした事実には意識的に触れない。私が佐藤優があちこちに書いていること、しゃべっていることを信用しないのは、私自身について全く事実とは違うことを平然と述べていたからだ。他の外務省員や彼が専門だとするロシアについて彼の言動も、眉唾だと受け取っている。

 

鈴木・佐藤の外務省私物化=菅総理総務省を自己の天領に、は同じ構図

違法接待で次官の目がなくなったと言われる谷脇総務審議官や山田内閣広報官を手先に、菅総務大臣官房長官―総理が総務省を「天領」としてきた令和の事象と、鈴木官房副長官が、外務省員の佐藤氏を手先に、外務省を何年にもわたり私物化、「天領化」してきた平成初期から中期にかけての構図は全く同じだ。

 

政治家と手を握る役人がおり、その政治家の威光を組織の隅々に行きわたらせ、人事で脅すやり方は実にクラシックだ。プーチンとその手先も同じことをロシアで長年にわたり実践しているのだろう。鈴木・佐藤コンビがどれだけ恫喝、恐怖政治で外務省内を跋扈し、国費(外務省予算)をどれだけドブに捨てても、北方領土は1平方ミリメートルも戻ってこなかったことを忘れてはならない。

 

「文春砲」を放たせるのは個人の怨嗟、嫉妬

加えて、大学に出る前に国際報道課長(外国の報道機関への対応が仕事)だった私の本は、

(3)外国の報道機関の日本支社で非正規雇用だったらしい女性のチクり

により(小さな)「文春砲」の題材になった。

 

総務省東北新社の違法会食の後追いし、「「文春砲」にタダ乗りするメディア」と揶揄されている大手新聞テレビだが、怨嗟、嫉妬をエネルギーに誰かをチクり、引きずり下ろしたい人間にとって、当時も今も(大手新聞テレビではなく)「週刊文春」こそが恰好のタレこみ先なのだ。

 

チクる人は「週刊新潮」や夕刊タブロイド紙やスポーツ紙にもタレこんでいるのだろうが、これまでの(輝かしい?)「実績」を踏まえれば、タレコミ側は必ず「週刊文春」をタレコミ先に入れ、タレこまれた文春側は精鋭を集めて、総務省東北新社の会食先の近くに席をとり、録音機まで回すのである。成功率の高さと影響力の大きさは、今後も「週刊文春」の一人勝ちとなると思われる。

 

ムラオサの恫喝につけこまれるのは不甲斐ないから

職務とは関係のない執筆で、大学の教官=みなし公務員であったので、厳格に倫理法を適用すれば、私の印税収入は「贈与等報告書」として報告する必要はなかったはずだ。実際、国家公務員倫理審査会でも報告違反とすることに逡巡する意見もあったと聞いている。が、色々な悪条件が重なり、「報告しなかった」ことが倫理法違反だ、とされたのである。佐藤優鈴木宗男を通じて私が印税を確定申告したかどうかまで、外務省に調査させた。申告していなかったら、鬼の首でもとったように騒ぎたてたことだろう。

 

総務省のことは知らない。が、外務省が鈴木―佐藤に私物化されたのは、二人の悪行を横行させた外務省幹部の不甲斐なさにある。先日来、三重県津市の職員が相生町自治会長に土下座させられ、同人の私的業務に市役所職員=「公務員」が駆り出され、パーティ券の配布までさせられていたという事件が報道されている。そういえば、関西電力の幹部が、原発立地の自治体助役の存命中、多大な金品を贈られ、受領拒否できない状況に置かれ、助役の意のままに操られていたという事件もあった。

 

日本社会ではこういう地域の顔役、村長=「ムラオサ」による恐怖政治が頻発する。鈴木・佐藤コンビ事件も、ガバナンスの欠如問題の一例だ。「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件の頃、反社勢力の関与により金融機関が不良債権を抱え込み、その数字すら把握できず、不良債権処理を敢行しようとすれば、当人だけでなく家族の命の危険さえあったという。実際、不良債権がらみで自殺した人も一人や二人ではない。が、外務省員も、津市職員も命の危険にまで晒されていたのだろうか?恫喝に震え上がり、忖度、自己保身ゆえに歯向かうことができず、行政の公平・公正を犠牲にしただけではないだろうか?

 

新聞テレビの一般メディアが、「文春砲」の後追いで総務省の問題を記事にしているのも情けない。当時、外務省が鈴木・佐藤にいいようにしてやられていることに気づいた「霞クラブ」の記者も大勢いたはずだ。総務省記者クラブも、省内の菅マフィアの跋扈には何年も前から気が付いていたに違いないが記事にしなかった。発信力皆無の菅官房長官が、「ご指摘にはあたらない」「まったく問題ない」「適正に実施されている」というフレーズで8年近く官房長官記者会見を乗り切ったのは、記者の不甲斐なさでもある。

 

意に沿わない官僚は左遷する、という恐怖政治を実践してきた菅総理は、自らの利権に卑しい総務天領の顔役、ムラオサの一人にすぎないことがはっきりした。日本の携帯電話会社が宇宙の基地局を舞台に、世界に打って出る、というグローバルで夢のある話ではない。若者には行き渡り、高齢者をスマホデビューさせることで利益を確保しようとする先の明るくない国内の小さいパイの分け合いを、自分の領地にしている。ちいさい、ちいさい!

 

収監された佐藤優は、読書家で博識、筆も立つのでシャバに戻ってからは出版社の寵児となった。出版界の新たなスターが生まれるまで使い倒され、同じようなことをあちこちに書きまくるのだろう。同氏の外務省関係の本はざっと立ち読みしたが、性に関する表現は相当きわどい。よくこんなものを出版するな、と思ったが、出版社も売れっ子のご機嫌を損ねたくないから目をつぶっている。

 

サトウサンペイという漫画家がいたが、朝日新聞夕刊の4コマ漫画は森元総理の「女性が参加する会議は時間がかかる」発言などかわいらしく思えるくらい、セクハラそのものだった。当時は糾弾されなかったのだろうが、佐藤優の下ネタも同類だ。彼の本を読んで日本国は、日本国民は豊かになったのだろうか?「知」を消費財にしているに過ぎない。何よりも、同人が鈴木宗男というムラオサの威を借り、恐怖政治により外務省を私物化したことを忘れてはならない。そして北方領土は1ミリ平方メートルも戻ってきていないことも。

 

それでも、私は週刊文春にも、チクった女性にも、鈴木・佐藤にも感謝している

なぜなら、その後、

  • 納税者に私が国家公務員であったことにメリットがあったと思わせる実績をつくる
  • 退官後は絶対に役所の関連団体から報酬を得るようなことはしない
  • 自分の才覚でマーケットから収入を得るー外務省員であったからには、日本国の国富を増やすためにも外貨を稼ぐ

ことを決意し、実現できたからだ。

文春や鈴木・佐藤になんと言われようと、胸を張って反論できる数字がある。闇金融の帝王と呼ばれた犯罪者が、スイスの銀行に送金した闇金被害者の資金を取り戻したこと、政府開発援助事業に参加した日系企業の大きな損害を相手国にも負担させたこと。いずれも十数億円単位だった。鈴木・佐藤は湯水のように国費をロシアにつぎこんだが、先方から獲得したものはあるのか?日本国民のためになるものはあったのか?

 

10年前、福島第一原発事故で外国人(駐在員も旅行者も)が日本脱出をしていた頃、観光立国日本で外貨を稼ごう、とインバウンド客に照準を合わせた事業を開始した。その後、猫も杓子もインバウンド事業に参入する中、さっさと出口戦略を考え見切りをつけたところにコロナが襲ってきた。税金は納めるものであり、たかるものではない。参入も退出も人より早く行動し、マーケットと向き合って自らの生活基盤を整えた。

 

2000年当時とは異なり、個人の発信手段は格段に多様化した。今更出版社に売り込み、編集側の意向に沿って印税を得る必要もない。鈴木・佐藤の虚偽発言への反論も含め、このブログで自由に書いていく。これが私の倫理法だ。                     (了)

山田真貴子、丸川珠代、橋本聖子はアウト、小池百合子さんにはちょっと期待、ゲームチェンジャーになれる日本女性は事業者からか?

2月は、森前東京五輪パラリンピック組織委員会会長の「女性の参加する会議は時間がかかる」発言から、菅総理秘蔵の女性内閣広報官の違法接待、辞任ニュースまで、日本社会の女性を取り巻く状況について考えさせられることが多い1か月だった。

 

「わきまえる女」、「わきまえない女」

山田前広報官は間違いなく「わきまえる女」だった。

服装:黒い地味なパンツスーツに少しだけ色と華を添えるブラウス

言動:広報官の割に若干おどおどした話し方は、日本の高齢で権力のある男性の庇護意欲をそそる

体型:テレビでみてもあれだけ細身なのだから、きっと安田成美風のやせ型、楚々とした(言い換えればガリガリの)

文字通り「ジジ殺し」だった。

 

加えて、東京大学法学部卒ではなく、早稲田の法学部というところも、東大に合格できなかった男性にとっては、コンプレックスをひとつ減らしてくれる属性だ。

 

私の霞が関同期に、検察に冤罪逮捕された村木厚子さんがいる。真面目で、仕事熱心な「楚々とした」人で、出身は高知大学。入省研修以来、特に接点もないが、当時の印象は「気立ての良い」「地味な」の人だった。地方の秀才。上京して厚生省に入省し、懸命に働き、国会で野党の強力も得ていくつかの法令を通し、制度を変えていった努力の人だ。

 

その後厚生省は労働省と一緒になり、冤罪が晴れ、巨大官庁厚生労働省の次官になった。「女性」事務次官の誕生だ。筑波大付属、あるいは東京学芸大附属高校から東大法学部を経て、財務省(大蔵省)でキャリアを積んだキラキラした経歴で、いかにも生意気そうな女性、例えば片山さつき議員と比べ、村木さんは同じくらい優秀なのだが、オジさん方にとって高知の田舎から出てきてよく頑張った、しかも冤罪で収監までされて可哀そう、という非常に大きな加点要素があった。

 

山田広報官は楚々としながらも「飲みっぷり」がいいことでも男性にとっては付き合いやすかったのだろう。

 

「ジジ殺し」に男女差はない。男性も「わきまえない」と

組織の中で力のある人に引きたてられるには、あまり男女の違いはないように思う。どんなに優秀でも「わきまえない男」はつぶされる。努力家で付き合いがよければ、上司にとっては使い勝手が良い。しかも自分を脅かすようなことはしない=「わきまえている」。菅総理にとっての、鈴木北海道知事みたいに。

 

高卒で東京都庁入り。定時制大学で学び、夕張市出向、薄給の夕張市長となり晴れて北海道知事に。ビジュアルも良い。男性も「ジジ殺し」でないと順調な出世は難しい。

 

「世論」「市場=マーケット」の後ろ盾は、組織の後ろ盾に匹敵する

橋下徹大阪府知事、元大阪市長は一見「わきまえていない」ようだが、人たらし的要素はお持ちのようだ。ペラペラよくしゃべるし、暴言も吐くが、うっかり偉い人の虎の尾を踏んだ後の謝り方もうまい。安倍さんや菅さんとの関係は良かった。今はTVコメンテーターで、安倍さんの「桜を見る会」や菅長男の問題について苦言を呈している。器が小さく、根に持つタイプの菅さんが今も良く思っているかは不明。

 

官僚と違って、組織内の偉い人の覚えがいいだけではなく、世論も味方にしたことが橋下さんの強みだろう。大阪都構想は潰えたが、色々な改革は進んだ。一般大衆、市場から評価されたということだ。同じ役所の上司、そこからつながる政治家だけを見てきたのではない点が、山田広報官との違いだ。

 

小池都知事は「わきまえない女」?

キャスターとして登用され、政治家に転身した頃の小池さんが、今のように自民党幹部(とそのマウスピースである田崎史郎氏)に蛇蝎のごとく嫌われる人だったとは思わない。美貌と華とアラビア語、英語、そして発信力を武器に上手に政界を泳いでいた頃は、「わきまえる女」だったのだと想像する。

 

その小池さんは権力欲も人一倍強い。年齢を重ね、「こんなアホなオッサンらに政治を、日本を任せられるか」という本音を隠さなくなってきた。

 

自民党には女性議員は60過ぎたら使い捨て、の不文律があるのではないか?

安倍総理は日本の総理としては若かったから、引き立てられる女性議員も若返った。稲田朋美氏、高市早苗氏。年齢+ネトウヨ受けする言動は安倍さんに登用されるための重要な要素だった。

 

菅総理は73歳だが、60過ぎた片山さつき氏、参議院だが70過ぎた猪口邦子氏は、1-2回大臣や政務官をやらせてもらったのだから、もう閣僚の目はないのだろう。なぜか女性閣僚は皆総理より年下、それもかなり!橋本聖子氏、丸川珠代氏は50代。

 

上川陽子法務大臣のように実務に手堅い人は、齢をとっても(現在68歳)場合によっては便利に使われる(なんせ、公職選挙法違反で逮捕された河井克行氏の後任の法務大臣なのだから)こともあるが、自民党女性議員は60過ぎたら使い捨て、の不文律があるのではないか?と思う。男性議員は滞貨一掃内閣で、70過ぎて全く適材適所でないIT担当大臣なんかに就任することもあるのに。小池さんも50代で防衛大臣までやれば、もう内閣総理大臣しかない。当面は都知事でもやって様子をみるか、という風にも見える。

 

小池百合子は「強い男」を敵にする

発信ばかりだ、実績がない、と批判する人も多いが、私が小池さんを評価するのは、自分より強い男性を敵にするのを厭わず、しかも勝負に勝ってしまう点だ。

 

防衛省天皇守屋武昌東北大学出身、防衛庁防衛省に格上げし、5年近く事務次官の地位にあったが、小池防衛大臣に解任された。その後、収賄罪で逮捕、有罪判決を受ける。

・都議会のドン内田茂―長年、都政は内田氏中心に回っていたとされる。小池さんは2016年夏の都知事選で「小池旋風」を巻き起こしながら、内田氏を追い詰めていった。

菅総理―コロナ対策で国と自治体の権限の曖昧さが露呈する中、菅総理はGoToトラベルから東京都の除外を決定。2021年初頭の緊急事態宣言では、都知事が神奈川、埼玉、千葉の知事を引き連れ、官邸に乗り込み判断を迫ったと言われる。

 

小池さんには、丸川珠代橋本聖子にはない「強い男」に対する政治的闘争心がある。あまり「女性の地位」を口にしないが、「権力者」=強い男に対する彼女なりの義憤もあるのだろう。若い頃に結婚離婚を経験し、齢70近くになり、今後婚姻の可能性、その結果として姓を変える可能性もない点は、女性政治家として「選択的夫婦別姓」問題について、「貴女は、大抵は女性に不便を強いる現行法制を容認するの?」と糾弾される弱みもない。風向きに敏感な小池さんのことだ、国民の多くが(強制ではなく)「選択的」である夫婦別姓を容認しているのだから、としっかり理解を示している。

 

橋本聖子の闘争心は運動競技についてだけ?

元運動選手だから闘争心は強いはず。夏冬で7回オリンピック出場、なんて闘争心がないとできない。が、自民党内では、都合の良いわきまえる女に徹している。高橋尚子吉田沙保里のように、オリンピックで金メダルを獲る圧倒的な凄さもない。たったひとつの銅メダルもなんだかお情けのように獲得したメダルで、このあたりも「よく頑張ったよな、金じゃないけどそれでいいんだよ、聖子ちゃん」とオジサマの「よしよし」という気持ちをそそる要素だ。

 

丸川珠代内閣府特命担当大臣男女共同参画)兼国務大臣東京オリンピックパラリンピック競技担当)アウト

3月に入って国会で「選択的夫婦別姓」をめぐり、丸川大臣は物議をかもしている。選択的夫婦別姓制度の導入に反対するよう地方議員に求める文書に名前を連ねていたことへの説明を何度も求められたのに、すべて答弁拒否したとか。男女共同参画担当大臣なんだけど。

 

50歳になったばかり。自民党の中で更に高みを目指すには、守旧派=結婚したら妻は自分のモノになる、女が夫の姓を名乗るのはその象徴的行為、と信じて疑わないオジさんを味方につけるには、ここは死んでも譲れないのだろう。戸籍上は「大塚」姓らしいが、選挙の時だけ「丸川珠代」、銀行口座もクレジットカードもパスポートも皆「大塚珠代」。総理を目指すのならこんな不便は大したことない、ということなのだろう。ヤダね。

 

日本のローザ・パークス、アウン・サン・スーチーは誰?

台湾の李登輝総統が亡くなった時のエントリーで、総統がMr. Democracy、韓国の金大中氏が「東洋のネルソン・マンデラ」と称されているが、日本のMr. Democracyは誰か?について書いた。

https://blog.hatena.ne.jp/IeuruOnna/ieuruonna.hatenadiary.com/edit?entry=26006613673533537

 

 結論は容易には見当たらない、だった。「板垣死すとも自由は死なず」と名言を吐いた板垣退助は百円札になり、「日本資本主義の父」は渋沢栄一で1万円札になり、今年の「大河ドラマ」になっている。日本では投獄され、犯罪者の汚名を着せられながら主義主張を広めていった人は男女を問わず少ないのかも知れない。

 

女性の地位向上では平塚らいてう、市川房江、加藤シズエのような先人もいる。が、官僚出身で偉くなる女性には、そんな迫力はない。森山真弓太田房江で印象に残るのは、森山官房長官、太田大阪府知事として大相撲の土俵に上がり優勝力士を称えたい、と言ったことだけ。どれほどの熱意で言ったのか不明だし、大相撲以外で女性の地位向上に努めてきた官僚、政治家だったかどうか実績も不明。

 

労働省の婦人少年局長は必ず女性が就任するポストなので、森山さんも粛々と「強い男性」の虎の尾を踏むことなく事務処理してきただけのように思う。

 

山田真貴子氏も女性の官僚として地位を極めても、ゲームチェンジャーになる気概もなかったということだ。彼女以外の役人としてそこそこの地位を得た女性たちも、企業の社外取締役や顧問に就いても、結局は「わきまえる」人としてしか期待されていないし、期待通りにふるまっている。

 

「食べチョク」とか京都の「佰食屋」とか面白い事業を起こした若い女性もいるが、どうしても事業規模は小さくなる。DeNAのような上場株式会社に成長し、経済団体の役職に名を連ねると、もうお終い。冒険はできない。学者なんて、アカハラ横行の学会では「わきまえる女」でないと、論文も読んでもらえない。上野千鶴子氏はゲリラ戦で名を上げた。橋下徹型だろう。世論、市場で一定の評価を獲得して地位を固めるしかない。

 

21世紀の「日本資本主義の母」に期待

男女を問わず、組織の出世の階段を上がるにはマジョリティに引き立てられるよう「わきまえ」なければならない。一匹オオカミで、好きなことを追求しそれなりの経済力をつけた男女が増えれば社会も影響を受ける。もし、日本女性でアップルのスティーブ・ジョブズやアマゾンのジェフ・ベゾスとは行かずとも、その10000分の1くらいの事業規模のゲームチェンジャーが現れたら、巨大な資本力で世の中を変えられるかも知れない。

 

いや、日本では規制が多く、役所に日参し、政治家の後ろ盾を得ないと新しい事業など起こせず、拡大もできないことも事実だ。自身の退職後の小さな事業でも、重箱の隅をつつくような不合理な規制を盾にとる京都市役所の木っ端役人を目の当たりにした。オジサンというにはまだ若い40歳前後の課長だったが、ペティ・ビューロクラットを絵に描いたような人物だった。中央官庁にも地方自治体にも、国の富を増やすこと=多くの人々を豊かにすることよりも、いけずをすることに無情の喜びを覚えるしょうーもない役人がうじゃうじゃいて税金で禄を食んでいる。米国で成功して日本に凱旋する、というルートしかないのだろうか?

 

自民党の政治家で当選回数を重ね、嫌なオヤジの言うこと(触ること)にも笑顔で返し、選挙遊説中は「有権者」のおさわりに耐え、閣僚を目指す。あるいは霞が関の官庁に入り、飲み会に付き合い、上司、政治家、記者からのセクハラに耐える何十年という徒弟期間を過ごし局長、次官を目指す。効率が悪すぎる。木っ端役人のいけずは避けて通れないとしても、自分で起こした事業、あるいは親から引き継いだ事業でも、市場の支持を得て、資本主義のパワーを使いこなす方が早いはず。

 

「日本資本主義の母」が生まれ、来世紀にその女(ひと)がヒロインの「大河ドラマ」が生まれれば凄いね。NHKがまだ存続して大晦日に「白組」「紅組」に分かれての歌合戦を続けているとして。                             (了)

菅総理は「終わった人」

ここ数日は、森東京オリンピックパラリンピック組織委員会会長の「女性が参加する会議は時間がかかる」という発言で、内外から批判されている。

 

森さんは昔から失言大王だ。無党派層は選挙で投票に来ず、「寝ていてくれればいい」とか、浅田真央選手について「あの子は大事なところで転ぶ」とか。あんたは、いつも大事なところで失言する。困ったじいさんだが、「元」総理であって、「現」総理ではない。

 

私は、現総理の菅さんの長男の総務省幹部に対する贈収賄疑惑の方が、由々しい問題だと思う。

 

週刊文春」は嫌な雑誌だ。事実を歪曲することもよくある。それでも、目隠しされた写真の長髪の男性が「自分の息子かどうかわからない」とは、菅さん、何事だ。

 

森さんも記者会見で切れていたが、菅さんも国会で切れていた。「息子といっても40過ぎた別人格ですよ」と息巻いている。その別人格を、自身が総務大臣の時に政務担当秘書として総務省内を闊歩させたのは、菅さん本人だ。その後、この長男は総務省が許認可官庁である放送関係の会社の幹部に就任したそうだ。

 

二階さんに誘われてステーキ会食に出かけた菅総理と同じノリで、総務省幹部は菅長男に誘われていそいそと会食に出かけたのだろう。「行政をゆがめる」リスクを承知で。

 

当初は利害関係者でないと思っていたので、菅長男に「おごってもらったが」、その後精査して「返金」したそうだ。アホか。

 

菅さんの発信力の乏しさを批判するのは、蓮舫さんだけではない。マスコミも今更ながら、「棒読み」「言い間違え」を指摘している。「今更ながら」というのは、この菅さん、7年8か月の間安倍内閣官房長官として朝夕2回、総計3200回以上「記者会見=発信の場」を踏んできた人なのだ。

 

場数を踏んでいるのに発信力がないとは何事か?3200回あまりの記者会見は、

  • 適切に対応している
  • 指摘は当たらない
  • お答えする必要はない

のフレーズで押しきってきたのだ。

出席していた政治部記者は、嫌な質問をすると菅さんに仕返しされるのがわかっているから丸めこまれてきた。8年近く毎日記者会見をやりながら、発信力を発揮する訓練など全く受けていない。記者も同罪だ。

 

東京新聞社会部の望月記者が食い下がっても、「貴女にお答えする必要はない」と切り捨ててきた。発信力などないまま、野党議員が猛獣のように質問するローマの円形闘技場に総理として放り出されたのだから、噛みつかれるのは当たり前。

 

総務大臣秘書官として側近として遇した長男を別人格(安倍昭恵さんを公人ではなく「私人」と閣議決定したことを思い出す)と強弁し、週刊誌に写真が掲載されている人物が自分の長男であるかどうかを「確認もしていない」。もうちょっと、答えようがありまへんか?

 

コロナ感染者数は減ってきた。季節は感染しやすい冬から春へと移りつつある。そこへコロナワクチン接種の前倒し(といっても数日の話だが)で、菅さんは点を稼ごうとしているのかもしれない。が、総理就任当初の「地盤、看板、カバンのない政治家」に対する若干の期待は、この長男の疑惑に関する発言でシャボン玉のようにしぼんだ。菅は外れくじ、「スカ」だった。終わった人、オワコンである。                                (了)

新潟県立海洋高等学校(2018.08.24作成)

白馬村で主に豪州人スキーヤー相手の宿泊施設を経営し始めて丸5年になる。

 

白馬村は長野県だが、少し北に足を伸ばすと新潟県糸魚川。小学校で、日本列島の南北に通る断層フォッサマグナの北端は糸魚川(いといがわ)と習った。難しい読み方もしっかり覚えている。冬の間、白馬に滞在する外国人スキー客相手に、糸魚川がバスツアーを組んでいる。自分の客の豪州人も、糸魚川に行き、フォッサマグナジオラマを見た、カニをたらふく食べたと楽しそうに話していた。ずっと行きたいと思っていたが、糸魚川の町は数年前に大火に見舞われた。

 

思い切ってでかけてみた。ネットで事前に調べると、カニ横丁なるところがある。夏にカニ?とも思うが、福井の越前ガニが有名なら、同じ日本海側なので、新潟のカニも美味しいのだろう。

 

日本海に面した道の駅能生(のう)にカニ横丁があった。何軒かカニ屋が並び、おばさんたちが、試食させてくれる。塩味の冷たいゆでカニプラスチックのたらいにカニ、はさみ、箸、手拭き用のタオルを入れてもらって、端っこにあるイートインの部屋でかぶりつく。冷房はきいていないし、カニはあまり身は詰まっていない。結局一杯の足だけ食べ、おまけでもらった、足が少しもげた小ぶりのカニは捨ててしまった。持ち帰っても生臭いだけだし、甲羅の味噌は好きではない。

 

口直しに、道の駅の二階にある海鮮丼の店で小さいどんぶりを食べた。食券を買って、セルフサービスである。海鮮はたっぷりのっていたが、魚の切り身は分厚すぎる。そもそもサーモン、マグロ、タコ、いくらや白身魚のうち、どこまでが地魚なのか怪しげだ。それでも、値段、味とも、千葉県の漁協直営の汚らしい食堂で食べたタコめしよりずっとましだ。新潟の食器は、少なくともプラスチックではなく陶器だった。

 

何故、道の駅や漁協の食堂はセルフなのに結構値段も高く、美味しくないのだろう。東京のど真ん中のさかな食堂の方が、ずっと安くて美味しい。人件費もテナント料も高い東京なのにセルフではない。カニに特化した高級ファミレスで、カニ酢、天ぷら、カニコロッケに寿司のカニ三昧を食べても、昼なら3-4000円だ。銀座で、しかも身のしっかり詰まった品を厳選している。

 

道の駅では結局3000円以上ランチに使った。白馬村周辺の高級ホテルなら、しっかりとしたフレンチが食べられる値段だ。プラスチックのたらいのカニ、生魚の切り方が雑な海鮮丼。ことごとく大失敗でがっかり。

 

道の駅の土産物屋をぐるっと回ってみる。おお、「新潟県立海洋高等学校の生徒が開発したお菓子」とある。秋田県立金足高校の話を引きづっていたので、なるほど、海洋高校もあるのか、漁師さんの子女向けの学校か、と納得。いずれにしろ、こんな道の駅では、リピーターは限られるだろう。

 

帰路、白馬村の北隣の小谷(おたり)村の道の駅に寄ってみた。商品の品ぞろえ、陳列方法、食堂もあか抜けていて、わずかながらもより都会に近いはずの白馬村の道の駅の方が田舎臭い。小谷村は外部コンサルタントの助言を取り入れているのだろうか?

 

新潟県立海洋高校のカリキュラムにも、色々な道の駅を見て回り、都会でも食事をし、地元が似非「地魚」を売りに、いかに競争相手のない中でぼったくっているか、生徒に気づかせる機会を取り入れて欲しい。

秋田県立金足農業高校(2018.08.21作成)

AKB48人気を高校野球の魅力になぞらえた文章をどこかで読んだ。プロの技量に比べたら、エースといえども文字通り「ドしろうと」の高校野球に日本国民が熱狂するのは、酷暑の中、泥だらけになり、甲子園の土を持ち帰り、トーナメント形式で一球のミスに泣く理不尽さに共感するからだそうだ。

 

AKBについては、容姿がせいぜい75点くらいの子たち(北川景子菜々緒と比べている。私自身との比較ではない)のダンスや歌に夢中になり、握手会とかにお金を使う人の気が知れなかった。高校野球と同じように、セミプロとも言えぬ、野暮ったい子たちを身近に感じるところがセールスポイントとのこと。なるほどね。

 

今日7月21日午後、秋田県金足農業高校が、大阪の野球の名門私立大阪桐蔭高校と決勝に臨む。田舎と都会、公立高校と私立高校、農業高校と野球の名門高校と、判官びいきを煽るきれいな構図となっている。

 

高校野球に何の関心もなかったが、テレビで秋田の人たちの興奮ぶりを伝えられると、なんとなく金足を応援したくなった。昭和の大阪に生まれ、たまたま進学校の学区にあった公立の小、中学校に徒歩で通ったのだが、当時でも郊外のサラリーマン家庭の同級生が、住民票を公立進学校の学区内に移し、いわゆる「越境入学」して定期券を持って通っていた思い出がある。今は昔、公立が強かった時代だ。が、そんな時代でも男子なら中学から灘、甲陽学院を受験する生徒もいたし、女子ならお嬢さん学校の私立に行った同級生もいる。大阪教育大付属小学校、中学校を目指していた家庭もあったのだろう。自分も親も、そんな付属校があることすら知らなかった。

 

私立は金持ち、高級官僚はエリートというステレオタイプでバッシングし、非エリートを自認する人が多いから金足農業高校が話題になるのだろう。その割には、読売新聞という(かつては)1000万部を誇る巨大な新聞社をバックに、資金力のある常勝軍団である読売ジャイアンツの人気は高い。江川とか桑田とか、巨人でなければ野球人でないと思っている選手がいるのだから、巨人以外は球団とも思っていないファンもいるのだろう。判官びいきと巨人人気。よくわからない構図だが、午後は金足農業を応援しよう。                      (了)

「しゃぼん玉」―柴犬に魅かれて視聴したらいい映画だった(2019.02.27作成)

我が家の飼い犬は柴犬である。もうすぐ10歳になるオスだ。

 

柴犬は日本犬の代表格。日本の匠の技を紹介するテレビ番組「和風総本家」では、柴犬の子犬豆助が狂言回しだ。積水ハウスは色々なバージョンのCMで柴犬を登場させる。ともに過ごした永野芽郁が嫁ぐのを送り出す老メス犬版もほろっとしたが、今の大きなリビングで家族が思い思いに過ごすオス犬ジョンのバージョンも微笑ましい。

 

思えば、坂道の上に立つ家の前で、家族を待つ柴犬が夕日にきりっとした顔を照らされる積水ハウスのCMを見て以来、ずっと柴犬を飼いたいと思っていた。同社の正月の全面広告にも柴犬は欠かせない。忌まわしい地面師事件も忘れさせる清涼剤のような犬だ。

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人気のない砂浜にさっそうと立つポチ(ビビりだけど)

 

アマゾンプライムで何を見ようかと探していたら、宣伝ポスターに愛らしい柴犬がすっくと立っている姿に魅かれた。最近亡くなられた市原悦子さんの映画なんだ、テレビ番組「リーガルV」で米倉涼子にポチと呼ばれていた可愛い顔をした若い男優の名前はへえー、林遣都っていうんだ、程度の認識で見始めた。原作は直木賞作家乃南アサさんだという。

 

テレ朝の「ポツンと一軒家」という番組が人気だそうだ。私も好きだ。日本全国、行政に頼らず、自力で厳しい生活環境の山あいで生活する高齢者が紹介される。映画「しゃぼん玉」の市原悦子さんの住まいも、宮崎県の椎葉村(しいばそん)の山麓にある文字通りポツンと一軒家だ。美しい棚田、山の稜線が描かれ、夫に先立たれ、ドラ息子は都会に出て行ったきり、そこで一人で畑を耕し、毎食複数のおかずをそろえ、家のなかもきちんと整えた生活をしている老婆がいる。額に汗する労働とは美しいものである、ITがどうした、AIがなんだ、これが人間の原点なのだ、と思い知らせてくれる。

 

そんな老婆の飼い犬が柴犬だ。犯罪者の主人公林遣都に「バカ犬」とののしられても、きょとんと首をかしげている。日本の過疎、高齢化の山あいで、老婆に寄り添う犬は柴犬以外に考えられない。トイプードル、チワワでは物語にならないのだ。柴犬はそのたたずまいで、主人公のすさんだ青年を癒している。

 

2011年夏、仕事から帰った私は自分の飼い犬柴犬ポチを抱きかかえて泣き続けた。その日、私は日本の高名な政治学者だという御厨貴という人に公開の場で、罵詈雑言を浴びせられた。明らかに御厨氏の虫の居所が悪く、運悪く私がその虎の尾を踏んでしまった。

 

その時、夫や息子がどこにいたのか全く記憶にない。帰宅した私に走り寄って迎えてくれた柴犬を抱きしめて、こみ上げてくる悲しさ、くやしさを噛みしめていた。

 

映画「しゃぼん玉」はハッピーエンドだ。主人公の青年は、老婆と柴犬、それから村の人々に癒され、自ら犯した罪を自覚し、出頭して刑期を終えて老婆も健在の村に戻ってくる。青年の更生を祈りたくなる理由の一つに、林遣都が大変な美青年だということもある。ふと、今年1月に女子大生を殺害し、死体を遺棄したとして逮捕された容疑者の、頭髪を失い、自堕落な生活からか卑しくなった風貌を思い出した。映画の主人公が犯罪者でも、鑑賞者が感情移入するのは、自らの罪を後悔する美青年だからだ。別の映画、文字通り「悪人」でも、過疎の村で解体作業に従事する主人公の境遇や、間の悪さから罪を犯したことに同情するのは、悪人役妻夫木聡の美形ぶりが際立つからでもある。

 

それが御厨貴氏のような顔だったらどうだろう。私は今でも愛犬ポチを抱きしめながら泣きじゃくったことを思い出すたび、あの御厨氏の醜い顔に唾棄したくなる。(了)