パブリック・ディプロマシー日本外交に望むこと

34年間の外交官生活を振り返って

舛添都知事は自分が無様だと感じないのか?(2016.06.14作成)

いよいよ自民党も辞任を迫り、都知事への不信任決議を野党と一本化するとの報。

 

数々のセコい行いのオンパレードだが、中小企業のオヤジもサラリーマンもみんなやっている、と弁護する朝日新聞社勤務の女性記者に会った。この人は「舛添さん、お金ないのよ」と別の観点からも同情していた。舛添さん同様、情けない記者だ。

 

みんながやっているから、「トップリーダー」もやっていいのか?お金がないから、ちょろまかして私的流用してもいいのか?オレオレ詐欺のニイさんたちも、自己弁護に使いたくなる不思議な論理だ。

 

すべての人が聖人君子ではない。「1000円拾って、警察に届ける」と言う人も少ないだろう。これぐらいはいいか、という基準は各人違うだろうが、舛添さんの場合は、度が過ぎている。加えて、書道の際、東日本大震災の翌日(福島原発事故で、日本中から外国人が逃げ出し始める頃)に中国の空港で買ったという数万円の中国服が滑りが良いから書きやすい、という漫画のような論理を元検事が説得力があると力説。

 

文字通りのトップリーダーには毀誉褒貶がつきもの。舛添氏の二代前の石原都知事は、最近田中角栄元首相について「天才」という本を書いている。白馬村のような雪深いところで事業をやると、冬の厳しい生活環境から、日銭を稼ぐため都会に出稼ぎに単身で出かけていった人々の苦労が、ほんの少しだけ想像できる。田中角栄は、雪深い地に生まれ育った人にも、都会に生まれた人と同じように機動的になれるよう、列島改造を試みた。ロッキード事件の何億円授受は犯罪だが、良いことも悪いこともしたのだ。善も悪もスケールが大きい。

 

石原都知事ディーゼル車を忌み嫌い、独立国の航空機が横田基地のために迂回しなければならない理不尽を訴えた。芸術好きな作家石原慎太郎は都内でのストリートパーフォーマンスを可能にした。同じ芸術好きでも、美術館巡り三昧、N響鑑賞に公用車、ヤフオクで美術品落札、というのもミジメな対比だ。

 

悪いことはしない方がいいが、悪事をも凌駕する良いことを歴史に残すのがトップリーダーではないか。舛添さんは、就任後の2年間で何を成し遂げたのか?公約の一部でも達成したのか?日本ネスレの社長さんは、家系が早死になので、自分には時間がないと、いつまでに何を達成すると、わざと自らを切羽詰まらせて事業計画を進めてきたそうだ。

 

こちらも毀誉褒貶の激しい人だが、橋下前大阪市長は任期中、全速力で駆け抜け、僅差で大阪都構想の夢破れて辞任した。金銭的にセコい話が山積みで辞任に追い込まれる(逆切れして都議会を解散するかも知れないそうだ)よりは、さっそうとして気持ちがいい。

 

セコい話はともかく、リオで旗を受け取る以外に9月までに自分は何がしたいのか明言すべきだ。3か月でも1年の4分の1、その気になれば条例を何本も通せる。自分の残りの任期だけに限らず、後任の都知事についても、報酬を減額し、公用車の使用規定を細かく明記し、ファーストクラス、ビジネスクラスの利用細目も決め、退職金をドーンと減らす条例を通す、と見得を張り、そして実現すれば、これまでの無様さは、相当挽回できるのに。リオで旗を受け取りたい、とは運動会の生徒代表レベルだ。セレモニーだけが命、という外交官をさんざん見てきた自分には、滑稽でたまらない。国際政治学者もセレモニーが大好きなのかな?              (了)