パブリック・ディプロマシー日本外交に望むこと

34年間の外交官生活を振り返って

新元号、美智子皇后、ご成婚60年(2019.04.10作成)

4月1日、新元号は「令和」と発表された。

賛否両論、色々な意見が出るが、我々には選択肢はなく、5月1日から使い始めればそのうち慣れるのだろう。

 

元号発表の前日、皇后陛下の特集番組があった。20歳で新聞に自分の意見を投稿される女子大生は、進歩的で自我の確立した人だったのだろう。投稿には母校の聖心女子大からの推薦、後押しがあったのかも知れない。天皇陛下に出会われた軽井沢の頃の写真は、本当におきれいだ。結婚式のパレードから3人のお子様の母となられた頃の写真も、ほっそりとして女優さんのようだ。

 

民放で皇后陛下のファッションを取り上げていた。ダイアナ妃のファッションが素敵と、雑誌で特集写真があると熱心に読んだものだが、美智子皇太子妃殿下のファッションも素晴らしい。ダイアナ妃より4半世紀ほど以前の写真、そして、1980年代の英国よりずっと貧しい、1960年代はじめの日本におけるお姿だ。

 

実は、年を重ねられてからの皇后陛下の洋装は、異様に肩が張っていたり、ケープが不自然であまり感心しなかった。和装の方は素晴らしい。ベージュや薄紫の訪問着など本当にお似合いで、自分もあんなに上品に着物を着れたらなあ、帯もよくマッチしているなあ、と嬉しく眺めたものだ。

 

今日4月10日でご成婚60周年をお迎えになった。皇室に嫁がれてからの皇后陛下の60年は間違いなく苦労の連続だったのだろう。流産も経験されたが、何といってもご成婚後早い段階で男子の第一子を授かったことは、救いだったに違いない。離婚前後のダイアナ妃のインタビューでは、まず男子が生まれたことでほっとしたと発言している。それは1980年代初めのことで、女王もいる王家においてすらこの安堵だから、1960年代はじめ、ついその10年あまり前は天皇は神様であったこの国で、歴史上初めての民間からの皇太子妃が男児を出産された時の安堵はいかほどのものであろうか。

 

秋篠宮は宝塚の加茂さくら天皇陛下との子だという「都市伝説」は、関西でも耳にしたし、上京してもまことしやかに言う人がいた。2-3年前にも東京でそんなことを言っている人がいたから、この都市伝説は全国区版なのだろう。秋篠宮の目鼻立ちは、皇后陛下にとてもよく似ておられると思う。

 

昨年12月、天皇陛下はご自身の誕生日の際「自らも国民の一人であった皇后」の「皇室と国民の双方への献身」について、声を詰まらせながら労い、感謝されている。日清製粉の社長さんのお嬢さんで、立派な学歴があり、頭もよく、テニスも音楽もお上手であの美貌の女性にとり、嫁ぎ先に困ることはなかったはずだ。が、あの時代のご両親にとっては「未来の天皇」の求婚に、娘にノーと言わせる選択肢はなかったのであろう。

 

皇室とその取り巻き連中の「粉屋の娘」「手袋の長さがどうの」「車の窓を開けて生まれたばかりの未来の天皇を風にさらした」等々、吉良上野介のようにいけずな、家柄だけ皇室に繋がっている人たちのハラスメントも後世に伝わっている。週刊誌の新皇后に対する報道もひどかった。「声を失う」なんて、どれほどの気苦労だったのだろうか。

 

今は宮家とは何の関係もない一般大衆が、小室圭母息子をバッシングしている。ご結婚となれば1億円が支給される、これは私たちの税金だから黙ってはおれない?赤ちゃんも含めた人口1億2千万人で割り算をすると一人頭1円にもならない「税金」だ。とはいえ、(チクり元婚約者の弁を鵜呑みにすれば)借りたお金を踏み倒す母親も、その言い分をそのまま信じる息子もいかがなものか、とは思う。

 

正田美智子様のご両親は、自身の娘にお会いになる機会は、ご成婚後ほとんどないほど自制されていたそうだ。小室圭さんの母親は一切皇室には出入りしないと誓う、1億円は辞退する、そして圭さんは異例の速さで米国弁護士資格を取得して、弁護士となり眞子さまと米国で暮らす。それでこそ「海の王子」だ。そうでもしないと、どんな文書を出そうが、400万円ではなく10倍の4000万円を「返済」しようが、口さがない人たちは収まらない。

 

英国、スペイン、ノルウエーの王室には、有色人種の血が入っている花嫁の父が相当な問題人物であるとか、未婚の母が子連れで王家に嫁ぐとか色々ある。生まれながらの王族メンバー自身が物議をかもしている例も多い。日本の皇室も例外でない。寛仁殿下とか。

 

退位を前にし、ご成婚60年を迎えられた天皇皇后両陛下にとり、まだまだご家庭内の心労は続きそうだが、公務における責務からは解放され、お二人で仲良く余生をともに過ごされることを切に祈っている。         (了)