パブリック・ディプロマシー日本外交に望むこと

34年間の外交官生活を振り返って

インターナショナル・スクール(2014.06.16作成)

スキーの強豪校。長野県白馬高校が生徒数減に悩んでいると言う。村を盛り上げるためにも、またオーストラリアからの定住者もいることから、インターナショナル・スクールの設立を望む声がある。同じくオーストラリア人の定住者がいる北海道のニセコには、”インターナショナル・スクール”が開校したそうだ。

 

インターナショナル・スクール」の定義とは?

生徒の保護者の国籍が多様だとインターナショナルだから、ブラジルの日系人が工場労働者として就労する村立の学校もインターナショナル・スクールと呼べる。中国人労働者で成り立っている漁村だってある。でも、そういう学校はインターナショナル・スクールとは呼ばない。

英語で教育をする学校というイメージがあるのだろう。では、アメリカン・スクールはアメリカのカリキュラムに沿っているから、英語で教育していてもインターナショナル・スクールではないのか?学力達成度を測るテストも、アメリカン・スクールはインターナショナル・バカロレアを採用していない。SATというテストのスコアがポイントで、全米の同学年の生徒との比較が可能だ。

 

フレンチスクール(リセ)も、授業は英語ではないし、フランスのカリキュラムに従って教育するから、これもインターナショナル・スクールではなくなる。学力達成度を測るのは、文字通り本国フランス発祥の「バカロレア」。「インターナショナル」なんて奇妙な接到語はつかない。東京にはブリティシュ・スクールもある。

 

すると、カナダとかオーストラリアのカリキュラムもいれた、英語で授業を行うハイブリッドな学校をインターナショナル・スクールと呼ぶのだろうか?英語で授業をやっていればインターナショナルな感覚が養える、とは限らない。アメリカ人もオーストラリア人も英国人も英語で教育を受けているが、国際的でもないし、多様性に寛容とは限らない。日本語という英語とは異なる言語が存在することに対する想像力すら欠如している人もいる。

 

文部科学省は、日本の教育指導要領に従った授業を日本語で行わない教育施設に補助金は出さない。文科省補助金がなければ、100%私立のいわゆるインターナショナル・スクールでは一人あたりの授業料は年間200万円を超える。海外から教官を呼んでくる。その交通費、住居手当等で日本人の教師よりずっと高くつく。冬の間だけオーストラリアやニュージーランドからやってくるスキー講師の交通費や宿泊費で、白馬の英語のスキー教室が、日本のスキー教室の倍の値段がするのと同じだ。高いから教師の質が良いとは限らない。

 

本の学校が国際化すればいいのだ。一部の教師を外国人にするとか、海外体験のあるガッツのある日本人教師が英語で授業をするとか。まず、白馬のスキースクールの日本人講師が英語でも講習を行えるようにすればいい。なぜか日本人講師は英語でスキーを教えることを、白馬に根をおろしたニュージーランド人のスキースクール校長に禁じられており、それを唯々諾々と守っている。ある種の植民地現象だと怒らないのは、不思議だ。                       (了)