パブリック・ディプロマシー日本外交に望むこと

34年間の外交官生活を振り返って

日航機墜落で亡くなった坂本九さん‐―子沢山、少子高齢化、空き家(2019.08.12作成)

今日2019年8月12日で、520人もの方が犠牲となった日航ジャンボ機御巣鷹山墜落から34年となる。あの日も非常に暑かったのを覚えている。8月6日の広島原爆投下、9日の長崎原爆投下、15日の終戦と歴史を振り返る日が続く。

 

航空機事故だ。揺れる飛行機は本当に怖い。死を覚悟し、家族にあてた父親の乱れた字のメモは感動的だった。

 

戦後を代表する歌手坂本九さんも犠牲者の一人だった。愛嬌のある笑顔で歌った「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」「明日があるさ」は貧しかった日本人を励ました。9番目の子どもだったから「九」。そういえば、歌手高田みづえさんと結婚した南海の黒ヒョウ、大関若嶋津は「六男」さんだ。数年前、親方が倒れた時に本名が伝えられていた。

 

あの時代は本当に子沢山だったんだろう。戦後の経済成長は人口ボーナスの結果であって、日本人が優秀なわけではない、と例のデービッド・アトキンソンは繰り返し言う。まあ、そうかもしれないが、人口がどんどん増えても相変わらず貧しい国はある。日本人が受賞したノーベル賞の数は、非英語圏の非欧米人としては相当多いから、アトキンソンさんは失礼だ。

 

昨夜、テレビ朝日の夏の特別企画で、「刑事一代」という渡辺謙主演のテレビドラマを観た。吉展ちゃん誘拐事件を扱ったドラマだ。犯人の小原保は、福島の農家の11人兄弟の10番目!六男さんも九さんもびっくりだ。それほど子沢山の日本だったのだ。

 

そう思いながらテレビをつけると、池上彰さんの特番「戦争を考える~失敗は隠され息子たちは戦場へ~」が始まっていた。滋賀県長浜市大郷村役場で召集令状を村民に配る仕事をしていた方が、敗戦後の、すべての資料を燃やせ、という軍の命令に反して保管していた赤紙にまつわる話しが紹介されていた。6人の息子がいて、そのうち3人が戦死した家族もいたという。

 

スチーブン・スピルバーグアメリカ映画「プライベート・ライアン」は、確か5人の息子を全て戦場にプライベート(兵卒)として送り出した母親のために、せめて一人だけでも生きて戻してやりたい奔走する人物を描いていた。

 

息子全員が戦死した一家もあったに違いない。「九」や「六男」なんて、もう名前を考えるのも面倒、という感じもするが、医療事情も食料事情も悪かった時代、沢山生まれても全員が無事に成人するわけではなかった。

 

戦争が終わっても、農家では長男が家督を継ぐのが当たり前だから、次男坊以下は都会に集団就職。女の子はとにかく早く嫁に出せ、という時代だ。(政府は中南米への移住も奨励した。)都会に出てきて、ローンを組んで家を建てた。政府もURの前身「日本住宅公団」で宅地開発し、住宅金融公庫で融資を提供して、地方出身者が大都市周辺で小さくても一国一城の主になる後押しをした。税制優遇もあった。

 

それが今や空き家だ。ローンでふうふう言いながら建てた家だから、豪邸ではない。首都圏なら神奈川、千葉、埼玉の駅からバス便という宅地も少なくなかった。駅近のタワマンの魅力が喧伝される少子化の時代、こういう郊外の家が空き家になるのは目に見えている。

 

池上さんは戦争特番で怒っていた。戦時中は大本営発表というザ・フェイクニュースをまき散らし、敗戦が明らかになると都合の悪い文書は焼き捨てた。池上さんは今の為政者は敗戦から何も学ばず、戦前と同じだから、有権者である国民が歴史を教訓に長いものには巻かれるな、と言いたかったのだろう。

 

子沢山の時代は兵卒や集団就職の矢弾になり、懸命に手に入れた家は少子化で負動産となった。ほとんどの日本人にとり資産の中心は持ち家だ。老後に2000万円必要ならば、リバースモーゲジで持ち家を担保に2000万円借り、死後の残債は家の処分で済めばうまくおさまるはずだ。が、バス便で買い物難民と言われるような場所では難しい。

 

令和の課題は、6男、9男、10男がいた時代の現実を、少子化という正反対の現実と調整することだ。待ったなし。政治家小泉進次郎が対策を考えているなら、首相候補に値するのだが。                           (了)